慢性の痛みは、ケガや病気など身体的な要因のほかに、心理的・社会的な要因が大きく関与する複雑系の痛みだ。発症すると生活の質を低下させ、就労の問題や社会的な損失も大きいが、運動療法などの治療が効果をあげている。
レストランの厨房で働き、一日に卵を300個割るなど、長年手を酷使していた高橋しおりさん(仮名・66歳)は、2009年11月ごろ、特に思い当たる原因もなく、突然、左手の中指・薬指に痛みを感じはじめた。近所の整形外科を受診したが診断がつかなかった。
高橋さんは、免疫異常で痛みが起こる膠原病が疑われて総合病院の膠原病内科を紹介された。そこで治療を受けたが、変化が見られず、大学病院の膠原病内科も受診したが、膠原病の可能性は否定された。
そこで、原因がわからないのに痛みが起きる「複合性局所疼痛症候群(CRPS)」が疑われ、東京慈恵会医科大学病院ペインクリニックを紹介された。このとき、発症から6カ月が経過していた。高橋さんを診察した同院の北原雅樹医師は、慢性疼痛症と診断した。
「CRPSなどさまざまな診断名がついた患者が来ますが、難治性の慢性痛に対する治療は診断名に関わらず変わりません。逆に診断名をつけることによって患者の不安をあおり、症状が悪化することもあるので、慢性疼痛症として治療します」(北原医師)
慢性疼痛症とは、痛みの部位や原因となる病気はさまざまだが、通常の治療期間(概ね3カ月)を超えても痛みが残るものをいう。急性の痛みと異なり、痛みの原因を直接治療できないため、さまざまな治療を組み合わせて痛みのコントロールを行う。高橋さんは6カ月の間に左手の痛みが左前腕まで広がり、普通に手を動かすどころか、爪を切ったり手を洗ったりすることもできないほど痛みが悪化していた。
「痛みが出てからは左手を使わなくなったせいで、関節の腫れやむくみがかなり進んでいました」
北原医師は2時間かけて高橋さんの症状を診察し、「痛みで家事が全くできない」ことが問題だと考えた。
「慢性の痛みを抱えた患者は、からだの異常のほかに、社会的、心理的な問題を抱えていることが多いのです。そのため、初診には特に時間をかけ、患者の背景に何があるかも把握するようにしています」(同)
初診で、高橋さんは、痛みが出る直前に夫が末期がんと診断されていたことがわかった。痛みのために、夫の世話ができないことがストレスになっていることもわかった。
また、左手の痛みのほかに、「不安で眠れない」という訴えもあったため、少量の抗うつ薬もあわせて処方したところ、不眠の問題は解決した。さらに北原医師は、高橋さんに「痛くても動かして、適切なリハビリテーションをしないとよくならない」と話し、治療のゴールを「家事や日常生活が行えること」に設定した。そして、理学療法士とともに、自宅でできる運動療法を指示し、実施してもらうことにした。
さらに、高橋さんの意識を変えるため、認知行動療法も行った。1カ月に一度の診察のとき、高橋さんに左手を動かしてもらい、写真を撮って前回までの状態と見比べる。そうして少しずつ左手が動くようになっていることを確認し、「よく頑張っていますね」とほめながら、回復を実感してもらえるように促していった。
「認知行動療法というと複雑なものを思い浮かべるかもしれませんが、患者さんに正しくリハビリをしてもらえるようにすることが治療では大切です」(同)
高橋さんは治療をはじめて1年3カ月後に、左右の手がほぼ同じように動くところまで改善。痛みは残るものの日常生活に支障がなくなった。
※週刊朝日 2013年9月13日号