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人生はみずからの手で切りひらける。そして、つらいことは手放せる。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、85歳の現在も現役経営者として活躍し続ける伝説のヘア&メイクアップアーティスト・小林照子さんの著書『人生は、「手」で変わる』からの本連載。今回は、「会社の仕事がつまらない」と不満を抱える人へ贈ります。
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美容学校を卒業し、私が化粧品会社に就職したのは23歳のときのことです。化粧品の販売を行う美容部員を教育する「教育部門」での採用でした。そのあと現場でも勉強をということで、私は23歳から25歳まで美容部員として山口県内の25軒の化粧品店に毎月出張し、化粧品を販売する仕事に従事しました。
美容部員というのは、お客様に化粧品の説明をして、化粧品を買っていただくのが仕事です。私はもちろん、会社に言われたことはその通りにマスターしました。お店で化粧品を並べ、お客様に商品の特長を説明し、どんな順番で使っていくのかをお話しして、化粧品を普及させていくのです。先輩方は皆さんこのやり方で商品を売っていらっしゃるし、会社もそれでいいと言っている。だからその通りのことを続けていけば、及第点。それはごくごく当たり前のことです。
でも私には早くメイクアップアーティストになりたいという目標がありました。目標に近づこうと思ったら、やはりチャンスはフルに使うこと。
「お客様に商品を売るだけではなくて、私自身もメイクの腕を磨いていきたい。お客様のお顔にメイクをさせていただくには、どうすればいいのだろう」
私は考えに考えて、お客様にはサービスでお顔のマッサージをご提供することにしました。
時は昭和30年代初頭です。その頃は、化粧はまだ大人の女性たちが普通にするものではありませんでした。メイクアップは、夜の女性たちがするもの。そんなイメージがあったので、「化粧なんて私は結構よ」と、店の前を素通りする女性たちも多かった時代です。
そしていまのように、店頭で美容部員がお客様にメイクをして差し上げるのが当たり前の時代でもありません。商品を売るほうも買うほうも、まだ化粧というものに対して“おっかなびっくり”なところがありました。
そこで私は、「奥様、まず私が手で、とても気持ちいいお顔のマッサージをさせていただきます。そしてお肌の血行がよくなったあと、ちょっとだけお化粧をしてみませんか? 私、東京の美容学校を卒業しているんです。一生懸命お手伝いさせていただきます」とお話しして、マッサージとメイクをサービスでつけたのです。