
放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回のテーマは「僕の宝物」。
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僕は19歳の時にこの業界に入り、放送作家になりました。
1991年2月。とは言っても最初はノーギャラで修行ですが、あの時から28年経ちました。
この仕事を28年やらせてもらってることに本当に感謝してます。
最初にもらった仕事は2本。二つともニッポン放送の番組。一つは山田邦子さんのリクエスト番組。そしてもう一つが、学生時代にずっとずっと聴いていた「オールナイトニッポン(ANN)」。火曜2部。1部はとんねるずのANN。中学高校と毎週寝ずに聴いていた番組の直後に始まる2部。
パーソナリティーは槇原敬之さんでした。
あえて、ここでは容疑者とは書きません。
1991年6月に発売した3rdシングル「どんなときも。」が大ヒット。槇原敬之のANNは91年10月スタート。当時、一発屋的ヒットを飛ばすアーティストが沢山いて、正直、僕の周りでも「あいつも一発屋か?」みたいに言われていました。11月に「冬がはじまるよ」が発売し、これもヒット。そして、翌年5月に「もう恋なんてしない」が発売し、大ヒット。このヒットで、一発屋ではなく、ヒット歌手の仲間入りをした気がします。
当時僕は大学生。何者でもない。放送作家の修行を始めた僕を、スタッフも、そして槇原さんも優しく受け入れてくれました。
僕は2月に番組に入っているので、「冬がはじまるよ」後、「もう恋なんてしない」前。19歳の僕にとって、一人のアーティストがヒットを飛ばして、本物のヒットアーティストになっていくのを目の当たりに出来たわけです。周りの扱い方もちょっと変わってくるし、オーラがどんどん変わっていくんです。
人生で始めて人が爆裂に売れていく様を見ることが出来ました。
シングル「もう恋なんてしない」が発売した1カ月後、「君は僕の宝物」というアルバムを発売し、これが大ヒットします。