そういう「人間のギリギリの姿」、そういうとき人間ってどうなっちゃうんだろうっていう、それが見たい。必死になってる人間の滑稽さ、だから色あせないんだと思いますね。
■『どうでしょう?』は現場で演出する「ドキュメンタリー」
――藤村さんは本当は報道志望だったとか?
そうなんです。地方ローカル局は在京キー局のように大きな予算を使って大掛かりな番組作りなんてできません。ローカルが「現場」としてできる最もリアルな仕事といえば報道なんです。でも実際にはバラエティを作れって言われた。考えましたねえ。
僕ら世代、見て育ったお笑いというとドリフがあります。ドリフは脚本が緻密に練られていて、何度もリハーサルをして作られています。僕がもし、在京キー局のテレビマンだったら、やっぱりドリフのように用意周到に笑わせに行く番組を作ったかもしれない。でも現実はローカル局のスタッフであり、北海道にはドリフのようなエース級のタレントもいないわけです。じゃあどうするか。ちょうど『進ぬ!電波少年』が放送されたころだったこともあり、ああ、あの手法はいいなあ、と思ってました。そこでさっそく、鈴井さんと大泉さんをとにかくカメラで追いかけることにしたわけです。
狙うのはそこで起きるハプニング。ハプニングなんて待ってたって起きるもんじゃない。じゃあ自分から取りに行こう。そのための仕掛けが「旅」だったというわけです。
僕らの番組はときどき「無謀」だと言われます。でも作ってる僕らはひとつも「無謀」だなんて思ってないんですよ。学生時代、徹夜でドライブした経験、あるでしょ? 僕ら、それをやってるだけなんです。その中で何が起きるか。それを丹念にドキュメントしていく。ただ普通のドキュメンタリーと違うのは、被写体自身がそこで起きたことを「どれだけ面白くしてやろうか」と、それこそ必死になってる、っていう点だと思います。
例えば、さんざんドライブしてやっと休憩したのに、キーをインロックしちゃった。ありふれたトラブルですが、大泉洋はそれを必死で面白くします。旅をするふたりがいて、そこに指示を出す僕がいる。僕の姿はほとんど映らないけれど、作り手である僕、そして嬉野Dも積極的にかかわってゆく。そこがドキュメンタリーとは一番違うところで、僕は最初の観客でもあるわけです。