今回は、1940年代に19歳で難民として日本に渡ってきたショール・アイゼンバーグの話をします。アイゼンバーグは日本人の妻を迎え日本で家庭を築き、戦火を生き延びました。そして、ビジネスの才覚があった彼は1960年代までに世界で最も裕福な人物の一人になります。
アイゼンバーグは1921年、独ミュンヘンで6人きょうだいの5番目としてユダヤ系ポーランド人の家に生まれました。しかし、38年にはナチスの迫害を避けるためドイツから逃げなければなりませんでした。彼は友人と共にフランスの国境を越えようとしたのですが、友人は途中で殺されてしまいます。アイゼンバーグは逃げ続け、難民として各地を転々としていました。40年になんとか上海にたどり着き、その後日本の支配下にあったハルビンから東京に渡っていきました。
東京では上海から持ってきたカーペットを売って生計を立てようとしていました。ある日、路上でカーペットを売っているとき、ハーマン・フロイデルスペルガーというオーストリア生まれの男性から声をかけられます。フロイデルスペルガーはウィーンなどで美術を学んだ後にインドを経て日本に来ていました。日本では裕福な実業家の肖像画家として活動していましたが、オーストリアに戻ることはありませんでした。2・26事件で暗殺された高橋是清元首相の肖像画は彼が描き、現在は日本銀行の地下室に保管されています。
東京で出会った二人の外国人は共にドイツ語を話し、フロイデルスペルガーはアイゼンバーグを自宅に招き自分の子どものように扱いました。フロイデルスペルガー自身は20年間日本に住み、茨城県出身の日本人女性と結婚しました。両親の反対にもかかわらず彼と結婚した芯の強い女性です。彼らは東京・麻布に住み、ノブコという女の子とアリトモという男の子を育て、家では日本語だけを話しました。後に、娘のノブコはアイゼンバーグと結婚しました。
ノブコは現在97歳となり、ロンドンで暮らしています。今年の10月、私はロンドンに行き、彼女にインタビューをしました。アイゼンバーグとの出会いについて彼女はこのように語っていました。