曲の最後の歌詞「あなたにあえたからおかあさんになれてよかった」は同意しますが、「あなたのためにヒールも履かないネイルもしない、こんなにがまんしているのよ」などは、子どもに伝えたいという気持ちは微塵も起きません。
それでは、「自分は何もかも犠牲にしてあなたを育てている」と子ども本人に愚痴っているのと同じ。自分で産んでおいて、なんて恩着せがましいことを言いだすのか、と思います。
確かに、育児には耐えがたいほどのがまんや努力が必要でしたが、それを子どもにぶつけてどうなるというのでしょう。親に、「私のためにがまんしてくれてありがとう」と感謝する子どもなんているのでしょうか。「あなたのために」が「あなたのせいで」に聞こえて、責められているように受けとってしまうのではないでしょうか。この曲を子どもに聴かせようと思う親は、「大人げない大人」ではないかと思います。
■お母さんが死んでしまう絵本は、子どもに必要なのか
そこで改めて、件のテレビ番組で紹介されていた、のぶみさんの描いた絵本『ママがおばけになっちゃった!』を読んでみることにしました。すると……驚くことに、「あたしおかあさんだから」と、全く同じ感想をもったのです。これを子どもに読ませたいと思うのは、「大人げない大人」だろう、と。
この絵本では、なんとお母さんが死にます。そして子どもの前におばけとして現れます。ただ、お母さんは最終的に生き返りません。死んだままです。救いがないのです。
小さい時期に「母親が死んでしまったらどうするか?」と問いかけることは、子どもの気持ちをおいてけぼりにしていないでしょうか。「どこか現実味がない」で終わればいいですが、「お母さんがいなくなったらどうしよう」という不安が生まれ、膨らんでいってしまったら、子どもの精神発育にとってはデメリットでしかないような気がします。
もちろん、人間はいつか死にます。「死」という概念を教えるのは非常に大切なことです。でもそれを、果たして幼児期に教えるべきことかは疑問です。