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中国当局による二十数回の拘束経験がある朝日新聞国際報道部記者の峯村健司氏。数々の危ない目に遭ってきた中でもっとも厳しかった尋問の実態を、TBSラジオ「荻上チキのSession-22」(2019年9月18日放送)で明かした。その一部を特別に公開する。
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荻上:ご著書『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』(朝日新書)を読ませていただきましたけど、かなり危険な目にも遭っていますね。こんなメールが来ています。ラジオネーム「サークルさん」。<中国に関しては、外国人のジャーナリストが拘束されるイメージがあります。峯村さんはいかがでしょうか>
峯村:そうですね。もちろん、喜んでされたわけではないのですが、迂闊にもされたことは何度かあります。
荻上:しかも一度ではなく、ということですか。
峯村:短い時間のも含めると二十数回はされています。
荻上:ある意味、拘束慣れというか、だいたいこういうふうに対応すれば解放されるみたいなものはあるんですか?
峯村:「はい」と言いたいところなんですが、なかなか難しいです。かなり読めないところがありまして、大丈夫だろうと思って行った現場が実はダメだったり、逆に、まずいだろうなと思って行ったら問題なかったりということもあって、結局6年間いましたが、そのあたりのボーダーがよく分からないままでした。
荻上:本の中では、拘束された際にスパイ容疑をかけられたりしたそうですね。例えばここは立ち入り禁止だとか言われたときに、「スパイと記者は違う」とか「ここはその地域に指定されてないはずだ」とか言い返していく。しっかり言い返せなかったら、場合によっては、法的に――まあ、法的にというのがどういうことかはさておき――処分されてた可能性はあるわけですよね。
峯村:十二分にあったと思います。そこは綿密に下調べをして、この地域は本当に軍事管理区域ではない、違法な区域ではないということを確認するといった理論武装をした上で突っ込んでいました。
荻上:いちばん厳しかったなと思う拘束はどんなときでしたか?