ここのところ、頻繁に福岡に帰っています。
 ゴールデンウィークに実家で法事があったのを皮切りに、5月の中旬に卒業した高校での講演会、7月に九州戯曲賞の選評会のため。8月の中旬に福岡・九州地域演劇祭の大学演劇部合同公演で『髑髏城の七人』が上演されたのを観に。そして9月の頭にはプライベートな用事でと、この5ヶ月で5回。月に一回は帰郷していることになります。

 福岡・九州地域演劇祭の『髑髏城の七人』は、福岡の7つの大学の演劇部の有志が集まって行った合同公演でした。
『アカドクロ』という2004年に古田新太主演で新感線で公演した時の台本をもとにしているのですが、サイトで確認したところ上演時間が1時間40分とありました。
 新感線での上演時間は正味2時間20分くらいだったと思います。
 キャストが間引かれているのならまだ理解出来ますが、新感線と同じだけのキャストが出演している。
 これでどうやって40分も短くできるのか。僕に教えてほしいくらいです。
 でもまあ、公演ギリギリになると、上演時間は2時間に変更された旨がサイトに出ていたので、「やっぱりそうか」と納得した次第です。20分くらいなら、まあ、細かいカットの積み重ねでもなんとかならない時間ではない。
 
 久しぶりに観ると、改めて「ずいぶんと若いホンだなあ」と思わされました。 
『髑髏城の七人』の初演は1990年です。『アカドクロ』はそれから15年後に再演した時に随分書き直した作品です。
 主演の古田も年齢を重ねて大人の芝居をしたこともあり、新感線での公演は、結構渋めの芝居になった印象でした。
 でも、今回出演しているのは大学生。全員20歳前後の役者達です。『アカドクロ』よりも、むしろ初演の時のキャスト達の年齢に近い。
 若い肉体が演じるだけに、ホンの構造そのものがもつ荒っぽい部分が、余計に目立ったのでしょう。
 大学生の彼らは確かに未熟です。ですが、芝居も殺陣も必死に頑張っていた。
 熱意と若さのパワーで、彼らなりの世界を舞台の上に立ち上げていた気がします。
 演出的にはかなり新感線のものをなぞっているのですが、それも『髑髏城の七人』を舞台の上で成立させるためには仕方がないのかもしれません。
 新感線の芝居は、日常とは全然違う異世界を作らなければならないので、衣装や小道具も含めて大変な労力がいります。
 役者も、芝居だけではなく膨大な量の立ち回りを覚えなければならない。
 演劇祭のプロデューサー達も、「本当に学生達にこの芝居が作れるのか」と不安に思った時期もあったらしい。
 でも蓋を開けてみたら、想像以上の出来だったと喜んでいました。
 まあ、考えてみれば、初演の時には、新感線も若くて、気持ちばかりが先走り技術が追いついていない時期でした。
「あの時、自分達がやっていたことと、今、大学生がやっていることの技術的な差はどれくらいあるのだろう」なんてことを思ったりもしながら観ていました。自分が思っているほど差がないかもしれません。あの頃の新感線も、大学生の彼らと同じように、若さと情熱だけが頼りだったところはありますから。もちろん古田なんかは、あの頃からうまかったですけどね。
 
 福岡に帰った時のお楽しみといえば、うどんもあります。
 博多といえばとんこつラーメンという印象が強いのですが、今では東京でもそこそこ美味いとんこつラーメンは食べられる。
 でも博多のうどんは、東京では食べられないのです。
 麺の柔さと独特のつゆです。麺は柔ければ柔いほうが美味い。そのほうがつゆによくからむのですね。
 いつも空港のうどん屋さんで食べるのですが、これだけ頻繁に帰ったので他の店にも行けました。
「かろのうろん」や「牧のうどん」にも行ってきました。
「牧のうどん」は噂通り、食べても食べても麺がなくならない。普通のうどんの二玉分くらい入ってるんじゃないでしょうか。なにせ注ぎ足し用のつゆをやかんに入れて一緒に持ってくるくらいですからね。

 18歳の時に、大学入学で上京して以来、もう33年。東京での暮らしの方が倍近く長いのに、それでも福岡に「行く」のではなく「帰る」になる。
 幼い頃に過ごした場所というのは、自分の中に残りますね。特に味覚は、そうかもしれない。ふるさとの味にはこだわります。九州は醤油の味が関東とはかなり違いますからね。もっと甘い。基本の調味料の味が違うのだから、料理の味に差は出るはずです。博多のうどんのつゆのこく。一緒に食べるかしわめし(鶏の炊き込みご飯)のふんわり広がる甘さ。口にすると「ああ、これこれ」と身体が納得する感じは、子供の頃に食べ慣れた味だからでしょう。
 なかなかメジャーにならない博多のうどんですが、なんとか東京でも食べられるようにならないか、切実に願っています。