つかこうへいという存在がなければ、多分、ここまで芝居にのめりこんでいなかったでしょう。
高校で演劇部に入り、不条理演劇を知りました。
その当時は高校演劇では別役実や清水邦夫作品が人気でした。高校演劇コンクールで演じられるのも彼らの作品が多かった。
唐十郎を知り、安部公房を知り、ベケットやイヨネスコなんかも『ゴドーを待ちながら』とか『授業』とか戯曲を読んでみる。よくわからないながらも、SFのセンス・オブ・ワンダーに近い面白みも感じた。
まあ、簡単にいえば「演劇って、よくわからないものだ。でもまあ、その中にも面白さはあるなあ」なんて感じで納得していました。高校生ですから、そういう頭でっかちな雰囲気に憧れるところもありますからね。
そんな時に、つかさんの作品に出会い、もう頭ぶん殴られたくらい面白かった。
最初に出会ったのは、戯曲集『熱海殺人事件』だったか、テレビだったかのどちらかです。当時、NHK教育で日曜の夜、『若い広場』という番組があり、そこでまだ20代だったであろうつかさんが、自分の劇団を率いてテレビ用に芝居を作った。たしか『郵便屋さんちょっと』だったと思うのですが、これを30分くらいのダイジェスト版にしてスタジオで収録した。確かまだ無名だった風間杜夫さんとか平田満さん、長谷川康夫さんや高野嗣朗さんが出ていたと記憶しています。
これが、抜群に面白かった。
リズムがあり口に出して気持ちのいい言葉遣いで、極めて逆説的なロジックが語られていく。
それは例えば、「たかがブス殺しで簡単に犯人になれると思うな」とか、「戦争で死ねなかったことはみっともない」とか、そういう既成概念の破壊が実に気持ちよかった。
初めて、自分が心の底から面白いと思える芝居に出会ったのです。
こういうことが出来るなら、芝居も面白い。自分も書けるかもしれない。出身地が近かったことも、励みになりました。田舎の高校生の大いなる勘違いだったのかもしれません。でも、芝居の深みにはまる後押しには充分になりました。
高校時代は、彼に影響を受けた台本を何本も書いたものです。
いのうえひでのりもそうでしょう。
新感線の初期は、つか芝居のコピーでした。
僕よりもよほど、影響は受けているかもしれない。
僕はつかさんとは直接の面識はなかったのですが、いのうえは稲垣吾郎氏主演の『広島に原爆を落とす日』を演出した際に、何度もお会いしている。
つかさんという存在がなければ、新感線という劇団も今のような形で存在していたとは思えない。ひょっとしたら、僕もいのうえも終生の仕事として、演劇に関わってなかったかもしれない。僕はマンガを描き、いのうえは映画を撮っていたかもしれない。
僕らだけではない。
今の日本の演劇の形が、かなり変わっていたんじゃないかと思います。
ある時期、それだけ影響力のある作品を次々に作っていたのです。
井上ひさしさんに続いて、つかさんまでいなくなってしまった。
自分の前を歩んでいた人達が、不意に姿を消してしまう。
ああ、自分もそういう年齢になったんだなあと実感します。
これから、どれだけ仕事ができるか。時間が無限にあるわけではないことを改めて感じます。
でも、それにしても62歳は早すぎますよ。
残念です。