この記事の写真をすべて見る
今年も京都の祇園祭の季節がやってきた。7月のひと月をかけて行われる八坂神社のお祭りは、「くじ取り式」や「鉾建て・山建て」などのひとつひとつの行事が全国的なニュースとして流れるほど注目度が高い。
●日本全国に広がる祇園祭
この「祇園祭」、実は全国各地で行われていることをご存じだろうか。北は北海道から南の鹿児島まで、京都・八坂神社のご祭神であるスサノオノミコトを祭る神社の例祭として各地に祇園祭が存在しているのだ。
そもそも、スサノオの神さまが祇園(平家物語の最初の一節に出てくる「祇園精舎の鐘の聲……」と同じもの)とつながるのは、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)とスサノオが同一視されているためである。なぜ、同一視されているかといえば、日本古来続く神仏習合の考え方によっている(もっとたくさんの神仏とも習合している)。
このため、スサノオは祇園さま、天王さまとして親しまれていて、必然的にお祭りの名前が「祇園祭」「天王祭」といったものとなった。
●疫病退散の神さま・スサノオ
スサノオをお祭りするお宮の名前はさまざまだが、八坂神社はもちろん八雲神社、須佐神社、須賀神社、津島神社など、スサノオの持つ各エピソードに因んだものになっていることが多い。ほぼ関東にしかない氷川神社も主祭神はスサノオである。
スサノオと呼ばれる神さまが全国的に広がりを見せたのは、この京都の祇園祭の持つ「夏場の疫病払い」の力を古代の人たちが信じていたことと無関係ではあるまい。それが証拠に、スサノオ主祭神の神社の例大祭は真夏に近い7月、遅くとも8月の上旬までに実施されることがほとんどなのだ。比較的夏場涼しい北海道・東北のいくつかのお宮では4月頃に例大祭が行われている事例もあるが、わずかである。
●日本一の集客数・博多祇園山笠
京都の祇園祭ほどの知名度はないが、それでもニュースとして取り上げられるのが「博多祇園祭」だ。京都の祇園祭の来場者数は前後祭合わせて20万人強だが、博多祇園山笠は日本一の集客数を誇るお祭で、全国から350万人もの来場者があるという。博多祇園山笠はスサノオほか3神を祀る櫛田神社の例大祭で、7月15日の櫛田神社への宮入が行われるメイン行事「追い山笠」で締めくくりとなる。
博多祇園山笠の始まりは、鎌倉時代にこの地で広まった疫病に対し、退散祈祷のために町々へ清め水を撒いたことに始まるという。当初は京都・祇園祭のような形の静やかな行列だったが、江戸時代初期に現在のような威勢よく山笠を引き回す形へと変化したようだ。
●福岡県の祇園祭に注目してみた
福岡の祇園祭はなかなか面白い展開を見せている。現在の福岡県は、江戸時代には6藩、明治に入っても3県に分割されるなど、文化圏はかなりはっきりと分かれていて、今でも福岡市と北九州市の2つの政令指定都市にはそれぞれの空港があったりして地方都市としては独自性が強い。
さて江戸時代初期、小倉藩では干ばつや疫病に悩まされていた。当時の藩主・細川忠興は八坂神社に平穏祈願をしたところこれが叶えられたことから、領民たちとともに祇園祭を行なったという。これが現在に続く「小倉祇園太鼓」の始まりで、映画「無法松の一生」にも登場する。
時代は下り江戸時代後期、小倉の北に位置する戸畑で疫病が蔓延、各神社に平癒祈願をしたところ無事治ったため、スサノオにお礼をこめて山笠を奉納、これが「戸畑祇園大山笠」の始まりとなる。
●京都の雅さが福岡で大変換
博多の祇園は“追い山”と掛水いうスピード感と臨場感が見どころ。次いで誕生した小倉の祇園は太鼓と鉦(かね)が、戸畑の祇園は高さ10メートルにも及ぶピラミッド型の提灯山笠で、これに祭囃子が加わるという夜に大きな見せ場がある。
福岡県には、これ以外にも各地の市町村で祇園祭がこの季節軒並み行われるのだが、上記3つの祇園祭が微妙に混じり合った山笠が登場するのだ。
特に北部九州を横断する長崎街道は、江戸時代には大名行列や異国人たちが移動に利用した主要道路だったため、祇園祭の効果が大いに伝えられていったのだろう。小倉に始まり黒崎、木屋瀬(こやのせ)、直方(のおがた)といった町には祇園祭が伝わり、独自の変化をして今に至っている。
●ついには「けんか山笠」へと
博多山笠の掛け声は、「おいさ」「おっしょい」だが、これが北九州市側にくると「わっしょい」と変化する。博多の山笠は見事な人形山笠で、曳き山笠と飾り山笠があるほど絢爛さがあるが太鼓の類はない。西にいけばいくほど大きな太鼓や鉦の音が加わる。そして、黒崎あたりの山笠には電飾がのり、花火が焚かれ交差点で山笠を曳きまわすという「けんか山笠」へと変化しているのだ。
上記の地域のどの山笠もYouTubeですべて見ることができるので、見比べてみると違いがよくわかって面白い。
さて、京都・八坂神社も博多・櫛田神社も神社の社紋が同じ「五瓜に唐花」。この紋はスサノオを表す紋でもあるのだが、きゅうりの輪切りに似ていることから、京都民も博多民も祭期間中はきゅうりを食べない地域の人たちがいるのだとか。祇園祭と一口に言っても、場所によってずいぶん違いが出てきているが、人の心は今も昔も存外に変わらないものなのだなと感心しきりである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)