サリン製造疑惑についてはどうか。

<田坂氏は、素人には作れないということと、事前に押収品リストや家の写真に目を通し、我家に化学器具もないことなどから、状況としては、私には作り得ないと判断していたようだ>

 河野さんと面会した夜には、田坂さんは永田弁護士やNHKの記者らとの懇親会に出席している。その席上で田坂さんは、記者から河野犯人説について問われ、「その可能性はありません」と否定した。永田弁護士が席を外した後、記者は再び田坂さんに質問をしたが、同じ答えだった。永田弁護士は自らの著書で、化学の専門家が記者に向けて河野犯人説を否定してくれたことが<非常に心強いものであった>(『松本サリン事件 弁護記録が明かす7年目の真相』)と書いている。

 当時は、河野さんを犯人視する報道一色だった。それでもなぜ、田坂さんは独自の判断ができたのだろうか。

「翌日には自宅にも行って現地調査をしましたが、河野さんが犯人だという証拠は何一つなかった。それだけのことです。ただ、その後も長野県警が私に話を聞きにくるようなことはありませんでした。科学的な意見を軽視したことが、事件の解決を遅らせたのではないでしょうか」(田坂さん)

 サリンの成分を理解し、現地調査を実施し、サリン製造が不可能であることを確かめる。科学者だけではなく、報道にたずさわる人間にも当たり前に求められることが実践されていなかった。

 田坂さんに続いて河野さんの自宅でサリン製造は不可能だと解説する化学の専門家も出てきたことで、報道も変わりはじめる。7月30日に河野さんが退院した後は、一部ではあるが、テレビや新聞で河野犯人説にかたよった捜査のやり直しを求める報道が出るようになった。それでも、初期報道の影響は強く、河野さんは苦しみ続けた。

 報道機関がオウムの関与を認識しはじめたのは、94年11月ごろといわれている。同月、山梨県上九一色村(当時)の教団拠点付近で採取された土を警察庁科学警察研究所が鑑定し、サリンの残留物を検出したからだ。それでも、長野県警は「河野に年越しそばを食べさせるな」と年内逮捕を目指す指示を出していたという。

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生かされなかった科学者の意見