自宅に押しかけた多くの記者の前で、事件との関与を強く否定する河野義行さん(右手前から2人目)。河野さんに対する「犯人視報道」が問題になった=1994年7月30日 (c)朝日新聞社
自宅に押しかけた多くの記者の前で、事件との関与を強く否定する河野義行さん(右手前から2人目)。河野さんに対する「犯人視報道」が問題になった=1994年7月30日 (c)朝日新聞社
元国際基督教大教授の田坂興亜さん(撮影/西岡千史)
元国際基督教大教授の田坂興亜さん(撮影/西岡千史)

 1994年6月27日深夜、長野県松本市で発生した「松本サリン事件」。死者8人、重軽傷者約600人という、オウム真理教が起こした無差別大量殺人事件だ。

【写真】科学者として事件直後から河野さんの無実を訴えた田坂興亜さん

 事件では第一通報者で被害者でもある河野義行さんが長野県警からサリン製造の疑いをかけられ、メディアも河野さんを犯人視する報道を続けた。河野さんの疑惑が晴れたのは、翌95年3月20日に地下鉄サリン事件が起き、教団幹部が次々と逮捕されてから。松本サリン事件は多数の被害者を出しただけでなく、警察とメディアによる河野さんへの人権侵害事件でもあった。

 実は、事件発生直後に化学の専門家が「河野さんにサリンは製造できない」と指摘していたことはあまり知られていない。なぜ、科学者の意見は警察の捜査やメディアの報道に生かされなかったのか。事件発生翌日に、謎の毒ガス物質を「サリン」と分析し、河野さんの疑いを晴らすための現地調査に協力した元国際基督教大(ICU)教授の田坂興亜さん(79)に、事件の教訓を語ってもらった。

* * *
 松本市の閑静な住宅街で起きた謎の毒ガス事件から一夜明けた94年6月28日、ICUで化学を教えていた田坂さんの自宅に、朝日新聞の記者から一本の電話があった。事件について、専門家としての意見を聞きたいとのことだった。

 毒ガスの成分は不明。第一通報者で、事件現場付近に住んでいる河野義行さんの自宅に、複数の薬品が保管されていたことがわかっていた。記者たちは、薬品の調合で毒ガスが発生する可能性があるか、化学の専門家に見解を求めていた。

 記者の話では、被害者を診察した医療機関が「アセチルコリンエステラーゼ」という酵素の活性が低くなっていると説明しているという。農薬などで使われる有機リンの中毒でみられる症状だ。ただ、事件の状況を聞いて、有機リン系の農薬による毒ガス発生ではないとすぐにわかった。田坂さんは、こう振り返る。

「3階や4階でも被害者が出ていたんですよね。日本で使われている有機リン系農薬は、気化してもそこまで毒性の強いガスが発生することはありません。なので、記者には『有機リン系農薬の開発の淵源となったサリンやタブンなどが使われたのではないか』と話しました」

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なぜ、事件翌日に「サリン」と言えたのか