ようやく『薔薇とサムライ』の台本が上がりました。
今回は生バンドが入る音楽劇っぽい構成(新感線では"音もの"と呼んでますが)なので、作詞・作曲やバンドの練習など普通の芝居よりも手間がかかるため、本番三ヶ月前に台本アップでも遅いのです。
作曲担当の岡崎司さんには、随分ご迷惑をかけてしまいました。
今回も作詞は森雪之丞さんにお願いしています。
『五右衛門ロック』『蛮幽鬼』に続いて三回目。音楽業界の大ベテランが僕らと仕事をしているのは、なんだか奇妙な感じがします。
ブラウン管の向こうで活躍していた人と一緒にいるのが不思議なような。俳優だとあまりそう感じないのは、やはり慣れなのですかね。音楽となると、僕のような脚本書きにしてみれば、もう一つ遠い業界ですからね。
若い頃から、バンド関係には縁遠く、新感線でも作詞は殆どしたことはありません。なんとなく苦手意識があるから尚のこと音楽の世界に関わる人達には距離を感じるのかもしれません。聞くのは嫌いじゃないんですが、いのうえのロックのように、あるジャンルをマニアックに聞き込んでいるわけでもないし。
なのに、なぜか劇団以外だとミュージカルや音楽劇の脚本の依頼が多いんです。新感線の印象なのでしょうか。
「僕は詞が書けませんよ」というと、意外な顔をされる方もいます。
『銀河の約束』に始まり『出島』『レディ・ゾロ』『OINARI』と、振り返ってみれば外部で受けた大きな仕事も大半が音楽劇ですから、そういう反応をされるのもむべなるかなという気もしますが。
久しぶりの外部新作『戯伝写楽』も、音楽劇です。最近は開き直って、「音楽劇とはいえ、完全にストレートプレイの形で脚本を書きます。それに音楽を入れる作業は演出にお任せしたいのですがいいですか」と言っていますので、ますます音楽の作業からは遠ざかっているのです。妙なものですね。
音楽と言えば、若い頃はジャズを少し聴いていました。アート・ブレイキーが好きだったな。
ただ一番熱心に聞いていたのは山口百恵でしょう。
二十歳の頃、金もなく自信もなくまだ自分が何者かもわからずに、悶々としていた頃です。
それまでも嫌いではなかったのですが、テレビに映ってれば「ああ、いいな」と思うくらい。ドラマや映画を観ていたわけでもない。
それが、たまたま友人からもらったアルバム(レコードでもCDでもなくカセットテープというところが時代を感じさせます)が『曼珠沙華』と『A Face in a Vision』でした。
時に、1979年。ニューミュージックブーム全盛の頃。自分達で曲を書き自分達で歌う方がカッコいいとなんとなく思われていた時代でした。「しょせんアイドルのアルバム。ニューミュージックに比べれば・・・」なんてたかをくくって聞いてみて驚いた。こっちの方が断然カッコいいじゃないか。特に作詞:阿木耀子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄というトリオの作品が図抜けて素晴らしかった。
ちょうどその頃平岡正明の名著『山口百恵は菩薩である』が出版され、アイドルを語ることが世界革命を語るというその方法論に衝撃を受けたりして、すっかり、彼女にはまってしまいました。
でもそれから1年ほどで引退してしまうので、はまったのはほんとにわずかの間なのですが。
ただ、あの時代、1970年代後半から80年代の中盤、小泉今日子の全盛期、筒美京平が傑作を次々にリリースしていた頃くらいまで、歌謡曲は抜群に面白かったと思うのです。
それまでの演歌系の歌謡曲から洋楽のサウンドに影響されたポップスが主流になってくる。大人の聴く歌と若者の聴く歌がはっきりとわけられてきた。なんだか新しい時代が来るような気がしていた。
「紅白歌合戦」のトリがそれまでずっと演歌系の大御所だったのに、1978年は紅組が山口百恵、白組が沢田研二になった。あの時、何かが始まる気分がすごくしていたのを覚えています。
あの時感じた新しい風は、どうなってしまったのか。
21世紀も始まって10年目になろうとするこの時代、正月映画に『ウルトラマン』と『仮面ライダー』と『宇宙戦艦ヤマト』の新作がかかっている、冗談のようなこの時代に、ついつい漠然とした停滞感を感じて呆然としてしまいます。
知人にそうぼやいたら「あなたがそんなこと言っちゃいけない。同じ所を回っているようだけど、一回りすればほんの少しだが前に進んでいると言ったじゃないですか」と諭されました。
確かに『天元突破グレンラガン』の中で主人公にそういう台詞を書きました。
ううむ、作品が教えてくれることってあるなあ。
今年50歳になりましたが、まだまだ惑いっぱなしです。これが今年のまとめになるのかな。まあ、そんなものかもしれませんね。
(次回は新年1月7日に更新します!)