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 なぜブラック部活はなくならないのか? 実はその裏に、教師から教師への「ハラスメント」が潜んでいた……。教育社会学者・内田良氏が著書『学校ハラスメント』(朝日新書)で明らかにした「教師間いじめ」。その一端を紹介する。

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■同僚から攻撃の言葉

 学校の先生方との意見交換の場に参加するなかで、私が出会った、もっとも忌まわしい記憶の一つをご紹介しよう。

 とある教員研修の場において、十名程度からなるグループで、「部活動のあり方」について議論が交わされた。一人の若手教員が、か細い声でこう嘆いた――「私は、○○科の教員です。教員採用試験を勉強して、○○を教えるために教員になりました。でも毎日、そして土日も部活で時間がつぶれます。自分はやったこともない競技を指導しなきゃいけないし、本当にしんどいです」。

 それを受けて、別の教員が手をあげてこう言い返した――「それは一部ですよ! 全部の部活がそんなふうに思われては困ります。僕自身は、たしかに部活がしんどいときもありますが、楽しんでやっています」。さらには、それにつづいて何人かの教員が部活動のすばらしさを語り、援護射撃をつづけた。

 私にとっては、本当に衝撃的な場面であった。

 教員は教科を教えるために教員になったのであり、部活動というのは教員にとっては付加的な業務にすぎない。教員は、素人ながらに指導に従事し、多くの時間をそこに費やしている。

 2019年1月に中央教育審議会が策定した「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」もこういった現状を問題視しており、「部活動指導は必ずしも教師が担う必要のない業務である」「教師の本務は授業であり、限られた時間の中で授業準備がおろそかになるほどまでに部活動に注力することは適切ではない」ことが明記されている。

■「一部」ならよいのか?

 平日の夕刻はもちろんのこと、土日までもが、部活動に費やされる。そして自分の専門であるはずの、教科指導の準備時間がほとんどとれないまま、日々を過ごす。自分の専門性を発揮するための時間をとることができず、自分がやったこともない活動に時間が奪われる。これが、部活動指導の現状である。

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部活動指導が苦しいというのは、尊重されるべき意見である