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東京大学の入学式で大きな話題となった、上野千鶴子東大名誉教授の祝辞。上野さんが言及した「がんばってもそれが公正に報われない社会」の元凶はどこにあるのか。その答えが彼女の著書『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日文庫)にはあります。日本社会の隅々にひそみ、家父長制の核心でもある「ミソジニー」(女性嫌悪)を明快に分析した名著の、「文庫版あとがき」を今回は特別公開します。
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単行本の刊行は2010年、それから8年経過した。
初版以来の刷り部数は計12版およそ3万部。長く静かに読み継がれてきた。本書のおかげで「ミソジニー」という概念は日本語に定着し、パソコンで「三十路に」と変換されることは少なくなった。本書のタイトルにも目次にも「フェミニズム」という語はない。「フェミニズム」に抵抗のある読者にも本書は読まれ、「腑に落ちた」「よくわかった」と言ってもらえた。若い読者からは「新鮮だった」という反応があった。フェミニズムにとって常識になっているようなことがらが、今さら若い世代に「新鮮に」読まれることに、世代の断絶を感じるが、とはいえ、「家父長制」や「性差別」という用語で呼ばれていたことがらを、ホモソーシャル・ミソジニー・ホモフォビアの3点セットの概念装置で読みとくことは、目のさめるような経験だったにちがいない。初版でばらしたとおり、本書にはセジウィックのタネ本がある。だが本書の理論とその応用とは、ただの借り物ではない。セジウィックからアイディアは借りたが、わたし自身がオリジナルに展開したものだ。概念が借り物であることを恥じる必要は少しもない。わたしたちはこうやって文化や言語圏を超えて、互いに学び合ってきたのだから。そしてスピヴァクが言うように、それがどこで生まれたものであれ、使える概念はなんでも使い倒せばいいのだから。
刊行後、本書は韓国語と中国語簡体字(中国本土)、中国語繁体字(台湾)に翻訳された。どの国でもベストセラーになっていると聞く。情けないことだが、その事実は、東アジアの社会にはミソジニーが蔓延しているという共通性があることを示す。