就活のもう一つの目的は学生たちの自己評価を切り下げることである。何十社にも落ち続けると学生たちの自己評価は下がる。
そのうち「採用してもらえるなら、どんな雇用条件でもいい、どんなハードワークでもいい」というところまで気弱になる。今の新卒一括採用システムは意図的に求職者が浮足立ち、恐怖心を持つ仕組みをあらかじめ作り込んでおいて、劣悪な雇用条件を「丸のみ」するように仕向けている。
就職活動で学生たちが最も関心を持つべきなのは、この社会が今後どのように変わっていくのかについての情報である。しかし、大学のキャリア教育は「会社四季報」的な個別的な企業の業績や給与水準や福利厚生の情報は与えるが、日本の産業構造のこれからの変化について触れることはまずない。
いまの学生が卒業後、30年、40年と働く間に社会は大きな変化を遂げる。急激な人口減とAIの導入で産業分野によっては、今後大量の雇用喪失が予測される。何年もかけて身につけた専門的な技能や知識がある日、「無価値」と宣言されることもありうる。
だからこそ、キャリア教育では「これから世界はどうなるのか」についての知識が求められている。本来、それは大学におけるすべての教科が扱うべきことであり、それをことさら「キャリア教育」として特化する必要はない。
日本はある時期から、イエスマンシップ、すなわち「無意味なタスクに耐えられる」能力がキャリア形成上重要な能力となった。昔から「ゴマすり社員」は一定数いたが、それが出世のためのデフォルトになったのはここ四半世紀のことである。
いまの40代、50代を見ると、どの組織でも、まともな批判精神がある人間は出世できていない。
東芝や日産自動車や神戸製鋼所などの日本を代表する企業が立て続けに不祥事を起こしたが、どれも目先の利益を求めミスを隠蔽し、問題解決を先送りしたからである。上司や前任者の指示に無批判に従い、事を荒立てないことだけに汲々とするイエスマンばかりが重用された結果がこれである。
ある意味では就活がそういうタイプの人間を組織的に作り出してきた。その罪について大学人はもっと痛みを覚えてよいのではないかとわたしは思う。
○うちだ・たつる/1950年生まれ。東京大学文学部仏文科卒。専門はフランス現代思想。武道、教育、映画など幅広いテーマを論ずる。著書に『内田樹の大市民講座』など。