4月25日と26日、『劇場版 天元突破グレンラガン 螺巌篇』の舞台挨拶に出ました。
25日は池袋と吉祥寺、26日は川崎と横浜で上映後と上映前の各2回、計8回。しかも25日は舞台挨拶が終わったあとに『螺巌篇』の完成打ち上げもあったので、丸2日『グレンラガン』に浸りきりの時間でした。
おかげさまでどの会場も満員で、上映後のお客さんの満足げな顔、上映前のお客さんの期待に満ちた顔を見る事が出来て、作り手としては非常に有難い経験をしました。
驚いたのは、その8回全部に来ているお客さんがいた事です。前売りだったり予約だったり当日並んでの整理券配布だったり、劇場によって舞台挨拶の回のチケット配布方法が異なっているにも関わらず全部を入手しているわけで、きっと友人やネットなどいろんな手段を使ったんだろうなあ。確かに、若い頃には「参加する事に意義がある」とばかり、しゃにむになってそういうイベントに参加する事に燃える時期があるのはわかるのですが、僕は昔からそういうタイプではなかったので、その情熱には頭が下がるばかりです。
もちろん、25日に参加された中川翔子(なかがわしょうこ)さん始め、声優のみなさん目当てのファンもいたのでしょうが、どんなきっかけでもいい。一人でも多くの人に作品を観てもらいたいのが作り手の本能です。
打ち上げの席で、中川翔子さんと話す機会がありました。舞台挨拶でも「グレンラガンに出会って人生が変わった」と言ってもらえましたが、面と向かってそう言ってもらえると嬉しいですね。
彼女ばかりではありません。声優のみなさんも自腹を切ってアニメのキャラクターの衣装を作ったり、自ら舞台挨拶に出たいと申し出てくれたり、作曲家の岩崎琢(いわさきたく)さんも今回の映画用に新曲をノーギャラで作ってくれたりと、作り手側の熱気も半端ではありません。
もちろんアニメ制作スタッフもそうです。
「納品12時間前には無理かも知れないと思っていたが、6時間前に大丈夫と思えた」と今石監督が言っていましたが、奇跡のラストスパートが行えたのも、作画や撮影スタッフの頑張りがあればこそ。晴れ晴れとした顔で打ち上げに参加している彼らを見ると、こんなにみんなが自信を持って終われた仕事もそうないぞと思えました。
今石監督が「今回(『グレンラガン』に関しては)、お客さんによく『ありがとう』って言われるんだよな」と言っていました。地方のイベントでも、控えのスペースで待っていたら、壁越しにお客さんから「作ってくれてありがとう」と声をかけられたのだとか。公式ブログのコメントにもそういう声がいくつか見受けられます。
僕らが作る時に込めた熱量がお客さん達に伝わり、彼らの心の中に何か力のようなものを与えられたのだとしたら、それはとても有難い事です。
"物語"に救われたという経験は、僕にもあります。見る立場ではなく書く立場としてですが。
20代の半ば、失恋し仕事も人間関係もうまくいかなくて、食事をしていてもテレビを観ていても本を読んでいても、ふと気がつくと焦りとか嫉妬とかで頭がいっぱいになり、将来の不安や自分のダメさ加減でどうしようもなく胸が苦しくなる日々がありました。
ただ、そんな時でも、同人誌に載せるマンガの原作を書いている時だけは、その世界に没頭できたのです。
2年半ほど芝居の世界から遠ざかっている時期がありました。ちょうどその頃です。大学時代は漫画研究会にいたので、その頃の友人達と同人誌を作っていました。と言っても、原稿をコピーしてホッチキスで留めるという簡単なものです。僕が原作を書き後輩が作画していました。
わずか20名くらいが読むようなごく内輪のものです。それでも、その原稿を書いている時だけは、胸の嵐はおさまっていました。自分が作る物語世界が、自分の心の動揺を鎮めてくれたのです。その時に「ああ、自分は物語を作ることで救われる人間なんだなあ」と実感しました。飯が食えるかどうかはわかりません。でも、どういう形であれ、自分は物語を作り続けるタイプの人間なのだ。そう実感したのです。大阪にいるいのうえひでのりに会いに行き、新感線の脚本を書かせて欲しいと頼もうと思ったのは、それからまもなくのことでした。
作る方観る方の立場こそ違え、そういう経験が自分にもあったものですから、物語が人間の心の支えになることがあるということを、僕は信じています。
でもだからこそ、お客さんの「ありがとう」という言葉に喜んでばかりはいられません。とても重い言葉でもあります。とても怖い言葉でもあります。
この言葉を受け止めて、書き手としてどう進んでいくか。あんまり調子に乗るんじゃないぞと自分を戒(いさ)めながら、次の作品に向かっています。だから、というわけではないのですが、なかなか進まないので大いに焦っているのですが。