サングラスの下はおそらく優しい目だったのだろう、素顔の岡留氏はシャイでジェントルマンだった。「3人で集まってるんやから、はよぅ出てこい!」と携帯電話で呼び出され、いきなり私たちに取り囲まれ、「よくもあることないこと書きまくってくれたな」「こちとらウワシン被害者の会じゃ」と口々に絡まれ、かつて「担当編集者全員と肉体関係がある」と書かれた岩井志麻子には「全員とはやっとらんわ、女の担当もおるんじゃー!」(つうことはほぼ認めているのか?という突込みはさておき)と反論され、その真ん中で「はい、あの、えーっと、なんかよくわからないけど、とりあえずすみませんでした」と全身黒づくめで小さくなっている岡留氏に、「お詫びで一緒にチクビ出し合わんかい」と謎の禊を要求する志麻子。男らしくシャツをはだけ、乳首を出す岡留氏の隣で同じくなぜかイタリアのチチョリーナのように乳首を出して微笑む岩井志麻子。それをぱちりと記念撮影し、そこからはじまった志麻子のセクハラ攻撃はもはや筆舌に尽くしがたいほど。その写真はさまざまな雑誌や新聞の記者に見せるも、オールスルーされ、結局東スポの一面を飾ったのは記憶に新しい。余談だが、その際志麻子の乳首には☆印がついていたが、岡留氏のサングラスのように真っ黒だった乳首はそのまま掲載されていた。

 また、ノリでホストクラブに一緒に行ったときも、全額ご馳走してくれる太っ腹ぶりを見せてくれ、「さんざんネタにさせていただいたせめてものお礼」だという。「これくらいじゃ済まないからね」「はい」「またご馳走しろーーー!」「はい」。みんなベロベロに酔っていたので、もはや何を話したのかすらさだかではないが、最後は恩讐の彼方に、という感じでハグをして歌舞伎町を去った。去り際に「白川さんと中瀬さんはいいカップルだよね」「あなたたちは魅力的で書き甲斐があったからあんなに記事にしたんだよ」とうまいこと言われたことだけははっきり覚えている。「この人たらしめっ!」と肩をぶっ叩いて帰路についた。それから月日は流れ、沖縄での氏の噂をたまに聞くたびにあの狂乱の夜を思い出していた。

 トウチャンが逝った翌年2016年に、岡留氏が脳梗塞で倒れたと聞いた。まだ若く、トウチャンと年齢も近かったし、良くなってほしいと願っていたが、続いて今回の訃報だった。肺ガンだったという。享年71。平成を残すところあとわずか、時代を彩った雑誌の編集長として鮮烈な記憶を残して逝かれた。岡留さん、あちらにはトウチャンもいます。仲良くしてあげてください。合掌

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