スーファミは“難産”と言えたが、CPUはファミコンの8bitから16bitに、表示可能な色数はファミコンの52色から3万2768色と約630倍に大きく向上した。また、任天堂のゲーム機としては初めてAV端子を搭載。スーファミで初めて、ピンの形をしているRCA端子に触れた方もいるかもしれない。ソフトも「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズなど多くのヒット作にも恵まれたが、最終的な国内販売台数では1717万台で、ファミコンの1935万台に届かなかった。95年には周辺機器「サテラビュー」を発売し衛星データ放送の受信にも対応したが全く振るわず、記憶の片隅で眠っている人も多いだろう。

■スーファミの周辺機器になるはずだったプレイステーション

 スーファミ登場以降もグラフィックスの進化は留まることを知らず、ロムカセット形式は限界が見え始めていた。カセットの中に基板が入っている形式では、ソフトのデータ容量が増えるに従い値段がどうしても高くなっていってしまうからだ。例えば、スーファミと同時発売された「スーパーマリオワールド」は、定価が8000円もしていた。一方のファミコンの「スーパーマリオブラザーズ」の価格は4900円で、ざっと1.6倍も高い。

 さらに、94年に発売された「ファイナルファンタジーVI」では定価が1万1400円になり、子ども向けの主要タイトルでも1万円の大台を超えるようになる。一方のスーファミ本体の価格は96年に9800円に引き下げられ、本体よりもソフトの値段のほうが高くなる“逆転現象”が起こるようになる。

 こうした問題から、既に他社ゲーム機ではセガの「メガCD」やNECホームの「SUPER CD-ROM2」など、CD-ROM対応の周辺機器に移行しつつあった。CD-ROM形式であれば、カセット形式よりも大容量かつ安価で頒布できるようになる。だが、周辺機器だけで定価が5万円弱にのぼったことやデータの読み込みが遅いという問題も当時発生していた。

 スーファミもこうした動きを無視していたわけではなく、ソニーが開発するCD-ROM対応の周辺機器を検討していた。その名を「プレイステーション」と言う。価格は4万9800円を予定していたが、諸般の事情により頓挫した経緯があった。 

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カセットに固執した任天堂