大手繊維メーカーの帝人は9月末、創立100周年の記念イベントを山形県米沢市で開いた。帝人といえば本社は大阪市にあり、かつては繊維産業で栄えた大阪を地盤にした会社だと思われがちだが、そのルーツは米沢にある。今で言うなら「大学発ベンチャー」として創業し、発展したのが帝人である。
帝人が創業したのは1918年(大正7年)で、創業地は米沢。創業者は米沢高等工業学校(現在の山形大学工学部)で応用化学を教えていた秦逸三だった。秦は東京帝国大学(現東京大学)応用化学科で学び、旧大蔵省の外局である樟腦事務局や神戸税関を経て、米沢高等工業の教員となった人物である。
そのころ日本で合成繊維は生産されておらず、秦は米沢で「ビスコース人造絹糸(レーヨン)」の研究を始めた。
そこに東京帝国大学応用化学科で同級生だった久村清太(4代目帝人社長)と、当時の財閥、鈴木商店の番頭格だった金子直吉が加わった。金子は秦の才能や探求心の強さを見抜き、投資をした。ベンチャーキャピタルとして鈴木商店が関わったのだ。秦は米沢高等工業を辞め、金子らの支援を受けて1918年、帝国人造絹を米沢に設立した。
恐らく帝人は日本で最初の大学発ベンチャーと言っていいだろう。学者にベンチャーキャピタリストが投資し、新しい事業を起こすというダイナミズムが100年前にあったことになる。
設立前の1916年11月から18年3月まで、秦は欧米を回り、レーヨンの製造法を学ぼうとした。しかし、すでにレーヨンを生産していた欧米企業は日本が技術を取得し、競争相手になることを警戒し、技術を教えてくれなかった。
秦は英国の工場近くをうろつき、工場の排水をくみ取ったり、作業員を饗応し、工場の見取り図を描かせたりもした。現物が欲しかったようで、カフェに入ってきた作業員の襟にレーヨンがついていたので、つかみ取り、宿に帰り、男泣きに泣いたという。
かつて日本のハイテク工場の前で待ち、出入りする作業員や取引先をつかまえては、工場内の様子を探った韓国電機メーカーのような存在が、当時の日本の姿だった。