先日、話題に上ったのは、知り合いの医師たちが私の治療歴を知って「困難を乗り越えながら2年半以上頑張られていることに皆、驚嘆し」た、という話だ。「1年後に9割は死んでいる」イメージを抱えていた自分が、根治に不可欠ながんの切除もできないまま2年9カ月間、生きている。それは医師も「驚嘆」するようなことだと知って「驚嘆」した。

 忘れられないのは、今年4月に初めて救急搬送された時のことだ。動脈瘤(りゅう)の処置を終えた医師たちから「やった!」と歓声が上がった。あれは大げさに騒いだのではなく、命がけの本当に危険な局面だったのだ、と2人で改めて胸をなで下ろした。

 体の先行きが読めて「今度こそ死ぬ」と言えれば、会いたい人に会う算段をつけやすいなど、便利な側面もあるだろう。

 しかし、実際はそんなわけにはいかない。できるのは「一期一会」を意識し続けることぐらいだ。

 知り合いが見舞いにくるならば「これが最後かもしれない」と覚悟して会い、見送ったらまた心の中で同じことをつぶやく。だがあまりにも「最後」を気にすると、今度は切羽詰まったような、息苦しい気分に陥りかねない。

 そんなとき、見舞客が言い残す「また、来ます」はありがたい。自分にはまだ「また」の機会がある、と思えるからだ。

「最後」と「また」のバランスをどうとるか。今日も、自分は試されている。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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