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9月28日より公開となった岡田准一さん主演の映画『散り椿』は、昨年12月に亡くなった直木賞作家である葉室麟さん原作の時代劇だ。今回メガホンをとったのは、撮影助手時代から黒澤明監督の絶大なる信頼を得てきた木村大作監督だ。数多くの日本映画を撮ってきた名キャメラマンが、時代劇にかける思いを語った。
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今回は“美しい時代劇”というのがテーマなんだ。
美しいというのは、単に映像が美しいという意味ではなくて、自然もそうだけど、人の心の美しさも表現したかった。
映像的に、いろいろと狙ったところはある。富山でロケしたからには、残雪の日本アルプスを使いたくて撮影時期を考えたし、榊原家の散り椿は、少し離れたところにあった樹を、庭にクレーンで移植したんだ。なにしろ撮影場所が国登録有形文化財だから大変だったね。散り椿の花も時期が合わなかったため、スタッフ皆で手作業で木に花をつけたんだ。撮影助手として関わった黒澤明監督の『椿三十郎』で同じことをやったことがあったからね。ただ今回は、椿の花は太陽に向かって咲いて見えるよう、すべて上向きにつけてくれとお願いした。
時代劇は初挑戦だけど今回は所作の指導をいれてない。それは俺が感情を撮りたかったから。昔の人間っていったって、今生きている人間とそんなに変わらないんだから、そんなに堅苦しく生きていないはずなんだ。もちろん城にあがれば正座をする。しかし自分の家で愛する女性とふたりでいるときまで畏まるか? 足も崩すし、もっと近くに寄るだろう?
黒木華さんが言ってたけどさ、他の時代劇だと所作を厳しく言われてしまうから、演技よりもそちらに気を取られてしまうことがあるくらいだと。だから『散り椿』ではずいぶん演りやすかったって言ってたね。
ただなんでも崩すってわけじゃない。主人公の瓜生新兵衛だって、お城にあがれば正座をするし、篠の位牌の前では姿勢を正す。ただ個人の生活に戻った時には、あぐらをかくんだ。一度藩を抜けて戻ってきた浪人だからね。
これが池松壮亮の演った坂下藤吉なら、家の生活でも正座を崩さないね。
だから今回、岡田准一さんには、冒頭の麻生久美子さんとの会話のシーン、息が吹きかかるくらいの距離で話してくれとお願いした。
すると岡田さんが、足を開いた中に麻生さんを引き寄せて、「これならできますけど」って言って、おれは「それでいい」っていったんだ。これは武家の男女ではありえない近さだから時代劇にはない作法だけど、それをやってくれと。
俺は芝居に関しては、さほど細かいことは言わないんだ。その場で聞いて変な違和感がなければ、それでいいと思ってる。