■アメリカで顔が見えなかった民主党政権

 民主党政権が誕生した2009年、筆者はワシントンに住んでいた。当時の雰囲気は今でも鮮明に覚えている。政権交代直後、ワシントンの米側関係者の懸念は「民主党ってどんな政党なんだ?」「誰と話をすれば良いのか?」というものであった。このように、政権交代直後のそれは、けして「民主党そのもの」に対する懸念ではなかった。しかし、それが1週間たち2週間たちするうちに、ワシントンの日本コミュニティによる厳しい民主党批判も強く影響して「民主党そのものに対する懸念」に変わっていった。

 当時、ワシントンには民主党の考えや政策を発信する存在は皆無であった。民主党の政策が米側に十分に説明される機会はなく、双方に懸念が生まれ、それが話し合われることもないまま時が過ぎていった。

 筆者は、民主党の議員に幾度となく「党の事務所をワシントンに作るべきだ」と訴え続けたが、どの議員も賛意は示すものの、具体化に向けた検討はされることなく、数年で政権は倒れていった。

■ドイツの多党外交

 今回の訪米では、筆者の提案で、ドイツの政党事務所の訪問が日程に加わった。ドイツは主要政党6党のうち5党がワシントンに財団という形式で事務所を構えている(残る一つの左派党はニューヨークに事務所をもつ)。日程の都合上、今回は、そのうちの一つである社会民主党(SPD)の財団を訪問した。筆者が知る限り、近年、日本の政党でこのような取り組みをしている例は聞いたことはない。

 SPDの財団は、ワシントンの好立地にオフィスを構え、6人のスタッフを擁し、議会、専門家、市民社会など、米国社会の幅の広い層と深い関わりを持ちながら独自の活動を展開していた。

 SPDは、現在、大連立政権の一角を担っている。すなわち、大使館を政権与党として利用できる立場にある。

 しかし、それでも、事務所の代表からは、「大使館のルートだけではなく、SPDの理念を外交においても実現すべく、独自の取り組みをする必要がある」「大使館の行うオフィシャルな外交ルートとも協力しつつ、時に異なる立場を打ち出しながら、議員の訪米一つにしてもSPDの思いを込めた日程を組んでいく」といった説明がなされた。

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