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白川のいなくなった書斎のカレンダーは、彼が旅立った日の2015年の4月のまま。彼を焼き場で見送った日、みんなと別れてからの深夜、ひとり書斎でぼんやりと時間を過ごし、幼稚な文字でカレンダーの4月16日に「とうちゃんがお星さまになった日」と書いて◯をつけた。あれから3年半がたち、今現在もそのカレンダーはそのままになっている。
トウチャンの3回忌が近付いた2017年の1月、「運命かもしれない次なる出会い」に少々浮かれた気持ちをきっかけに、いままでどうしても手が付けられずにいた遺品整理に着手することにした。どうしても捨てられずにいた彼の私物。主をなくし、そのままになっている部屋は、一見普通の部屋と変わらないはずなのに、座るものを失くした座椅子がポツンと寂しい雰囲気を醸し出している。真新しい名前入りの原稿用紙は亡くなる数カ月前にどっさり届いたばかり。創作のための手帳が数冊残っていて、まだ開けないでいた。
火葬場から遺骨とともに戻ったあの夜、姉や彼の子どもたちが帰った後、ようやく死後初めて彼の机の上をじっくり眺めたときに、机の隅にあった原稿用紙に「世の中には、心を焦がす人間と、そうでない人間がいる。この小説は心を焦がす人にだけ読んでもらいたい」という走り書きの文字を見つけた。白川道はやはり小説家だった。彼は最後まで現役の作家として旅立てたのだ、と。それが切ないほど誇らしくて。ねぇトウチャン、私は心を焦がす側の人間だったよね?ひとりぼっちになったことを痛いほど実感した瞬間でもあった。
それからだ。夜ひとりを感じるが怖くて、毎日毎晩、誰かと食事の約束をするようになったのは。3回忌を迎えるまでは仕事も含め、平日はもちろん年末年始も土日も1日も欠かさず誰かと修行のように夕ご飯を食べ、酒を飲み続けた。約730日。ひとりになると、トウチャンの不在に押しつぶされて、それこそ自分の正気を保てるのかどうかすらわからなかった。気が付けば、パニックになったときにいつでも飲めるように精神安定剤を持ち歩くようになった。ひとりの時間があると妙なことを考えてしまうので、4日間だけ休んで会社に復帰、テレビのレギュラーも1回だけ休んだだけで翌週すぐ出演した。ちょっとしたことですぐ涙が出るし気持ちが折れそうになるので、安定剤は眼鏡ケースに忍ばせて生放送のスタジオに持って入った。そのくらい自分のメンタルに自信が持てなかった。