取材は、東京社会部で調査報道班のキャップを務める木原貴之と、中堅の岡戸佑樹が中心になり、政府関係者だけでなく、愛媛県、今治市など地元関係者にも当たった。木原も岡戸もこうした裏取り取材には慣れている。だが、関係者の口は重く、職場や自宅を訪ねても居留守や取材拒否が多かった。取材の趣旨を伝えようとしただけなのに、怒り出してそのまま自宅へ入ってしまう人もいた。
「このままでは、東京に帰れないな」。愛媛県内での取材を終え、夜遅くになって食事を取りながら、木原は岡戸に冗談めかして言ったが、二人の本音でもあった。取材は難航していた。
しかし、永田町・霞が関を含めた多くの関係者を回るうちに、一部の関係者が軟化し始めた。
8月のある日、岡戸の携帯電話が鳴った。面会の経緯を知りうる人物で、何度か接触を試みていた。岡戸は改めて、面会には加計学園の幹部が同席していたのか、面会の相手は柳瀬秘書官だったのか問うた。この人物は最初こそ、言葉を濁していたが、最終的にはこうした事実関係を認めた。岡戸は電話を切ると、「認めましたよ」と真っ先に木原に電話を入れた。時を同じくして、別の人物への取材にも成功し、複数から面会に関する確認が取れた。あとは、当人である柳瀬氏本人に話を聞かなくてはならない。木原ら取材班は、東京都内にある柳瀬氏の自宅周辺で直接、本人を取材することにした。
8月9日、その日の最高気温は東京都心で37度にまで上がり、気象庁は「不要な外出を控えるよう」呼びかけていた。体調管理のため、複数の記者が交代で柳瀬氏を待ち続けた。
午後1時ごろ、自宅近くに黒塗りの車が現れ、柳瀬氏が降りてきた。その時間の張り番だった木原は柳瀬氏に近づき、これまでの取材で確認した事実関係を柳瀬氏にぶつけた。
柳瀬氏は「前に(国会で)話した通りです」などと話し、自宅へ入ったが、再度、外出するようだった。木原の連絡で休憩から駆けつけた岡戸も加わり、柳瀬氏を待った。