【現代語訳】


・「立派な人格者は、世界の万物に対して主観的な好悪を持たない。ひとえに正しきものにこそしたしむ」

・「友にあやまちがあれば、真心をこめて忠告して導くことが大事である。しかし聞き入れられないときには、やめるがよい。無理をして自らを辱めるようなはめになってはならない」

・「斉の国に行ってすばらしい管弦楽を聞くと、そのすばらしさに陶然となって、3カ月間、肉の味を空虚なものと感じた」

【解説】
 お答えします。相談者さんは、厳しすぎます! 「出された料理は完食しなさい」と言って育てると、海外には行けなくなってしまいますよ。私は若い頃、かなりの大食漢でしたが、伊フィレンツェの貴族の家に滞在しているとき、ランチに、まずパスタが出てきて、その後、サラダにステーキ、スープ、魚料理、チーズ、デザートと延々とおいしいものが出てくるのです。完食なんてできません。アメリカや中国でも同じです。皿に盛られたものを全部食べていたら、体を壊してしまいます。

 戦後まもなくの日本の飢餓状態であれば「完食」は、言われなくてもしたことでしょうが、時代も環境もまったく違います。「正しさ」は、つねに変化するものなのです。父親である相談者さんが厳しい古い習慣に固執していると、息子さんは時代の流れについていけない大人になるかもしれません。

 孔子もこう言っています。

「君子の天下に於(お)けるや、適(よ)きも無(な)く、莫(あ)しきも無し。義にのみ之(こ)れ与(とも)に比(した)しむ」(里仁第四)

「適」とは、一方的に固執することをいいます。「莫」は「適」の反対で、何も考えないこと、漠然と散漫に物事を行うことをいいます。つまり、君子と呼ばれる人は、「物事に対して、必ずこうしなければならないと固執した考えを持つこともなく、漠然とその場に流されてしまうこともない」というのです。

「君子」は、ふつう「立派な人」と訳されますが、決して「位が高い教養のある立派な人」という意味ではありません。「他者とうまく付き合うことができる人格者」を表します。

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