あまりに物事に固執した考えを持っている人、反対にいつも不注意で散漫な人、こんな人と付き合いたくはありません。ちょうどいい感じ、つまり「中庸」でいなさいと孔子は言うのです。そして「義にのみ之れ与に比しむ」と付け加えています。これは、「ひとえに正しい規則や慣習にしたしむ」と訳されますが、「正しいことと現実との折り合いをつける」という意味だと私は考えます。
食べ物は大事にしないといけないのは、言うまでもないことですが、食べることが楽しみでなく、苦しく感じる人もいます。現代社会で問題になっている、人と一緒に食事をすることを苦痛に感じる「会食恐怖症」は、学校給食での完食の強制によって引き起こされるといわれています。食事は「強制」するより、「楽しむ」ことを教えるほうが、大切なのではないでしょうか。
孔子は、こんなことも言っています。
「忠(ちゅう)もて告げて善もて之れを道(みちび)く、不可なれば則(すなわ)ち止(や)む。自(み)ずから辱(は)ずかしめらるること無かれ」(顔淵第十二)
これは、子貢という弟子が、「友と付き合うにはどういうことを注意しないといけないか」と孔子に聞いたときの答えですが、親子の関係でも同じことが言えるでしょう。
「友にあやまちがあれば、真心をこめて忠告して導くことが大事である。しかし聞き入れられないときには、やめるがよい。無理をして自らを辱めるようなはめになってはならない」と。
本来楽しいはずの食事が、「食べ物を残していいのか?」と息子を強く叱ることで、親子の雰囲気が悪くなるのはとても残念です。
また、「好き嫌い」についていえば、それは成長段階の些細なきっかけで改善されてしまうものです。
たとえば孔子は、弟子たちに分けることも惜しいと思うほど肉が大好きな人だったと伝えられていますが、斉(せい)の国に行ってすばらしい管弦楽を聞くと、そのすばらしさに陶然となって、3カ月間、肉の味を空虚なものと感じた(斉に在<あ>りて韶<しょう>を聞く。三月、肉の味わいを知らず)といわれています。
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