子どもの不登校が長期になってくると、夫婦間での対応の違いや周囲からの何げないアドバイスに疲弊することがあります。藤沢市で子どもが自分らしくいられる場所づくりをするNPO法人優タウン代表の小沼陽子さんが、自分の心と向き合うなかで気づいた、大切にしたいこととは――。第1回<「嫌がる息子を小学校へ連れていくことしか頭になかった」 不登校の息子と向き合った母が考えを変えたきっかけとは【体験記】>から続く
【マンガ】「学校を休ませる不安」など、今じんこさんのマンガはこちら(全38枚)NPO法人優タウン代表の小沼陽子と申します。息子が小学生になって不登校がはじまり、私の常識や価値観は大きく揺さぶられました。今でこそ息子は大学生となり、親子で落ち着いた日々を過ごしていますが、私自身が何を感じどう変わっていったのか、当時を振り返りながら書いてみようと思います。
夫への罪悪感
前回の記事では、今から10年前に不登校を経験した息子との壮絶な日々と、仕事との両立に苦しむ中で、私は心身ともに限界を迎えていたことについて伝えた。その後、息子が小学校高学年になるころには、私はたくさんの本を読み、いろいろな生き方やさまざまな教育方法があることを知り、無理に学校へ連れていく必要はないと思うようになっていた。しかしそのあたりから、今度は3歳下の妹も不登校となり、私は相談できる人も理解してくれる人もいない、孤独でとてもつらい日々を過ごしていた。
でも夫は相変わらず、息子を学校へ連れて行こうと必死だった。子どもたちは毎朝なかなか起きてこない。どうやら、両親二人が仕事に出かけたことを見計らって起きていたらしい。
私は夫と息子の朝のやりとりを見ながら「今日もどうせ行かないだろう」と、子どもたちの昼食の準備だけして、さっさと家を出た。
会社に着くと家に電話し、子どもたちに「餃子が焼いてあるからチンして食べて」「お餅を焼いて食べてね」とその日のお昼ごはんを伝える。
このころは娘も不登校になっており、息子が一人きりで家にいるのではなく、兄妹一緒に家で過ごしていること、それが私にとっては大きな救いだった。
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