一方、夫は「息子だけでなく、娘までも不登校になってしまったこの時期が一番つらかった」と当時を振り返り、話している。息子の命が心配でたまらない私と夫の心配事がすれ違っている様子が、こんな話からもよくわかる。

 私がたまに会社を休んで家で過ごすと、娘は楽しそうに遊んでいるのだが、息子は夫に言われた課題を一生懸命こなしていた。

「一回行かなくなると、行きにくくなるぞ」

 学校を休み始めた娘を心配して、息子がこんな言葉をかけることもあった。自分のほうがよほど大変な状況なのに、妹のことを心配してしまう。そんな優しい息子の姿が切なく、私はなんとも言えない気持ちで兄妹のやりとりを見ていた。

 毎晩、夫が帰宅すると急に家の雰囲気が重くなった。

「自分だけが頑張っていて陽子は何もしない」――。私に対し夫がそう感じていることもヒシヒシと伝わっていた。

 息子が学校へ行けた日、学校へ送り届けているのは夫なので、夫のほうが先生とも直接話をする機会が多く、先生たちからも「頑張っている父親」「何もしない母親」と思われているようでつらかった。

 夫は会社に遅れるなどしながらも息子のために一生懸命頑張っているのに、私は仕事にちゃんと間に合うように出かけてしまっている。私は夫への罪悪感と息子への切なさが入り交じった複雑な心境だった。

息子を残して家族3人で帰省

 このころの息子はとても荒れていた。モノを投げるのは当たり前。目つきも怖くて、本当に様子がおかしかった。特に夫にあたることが多く、私もどうしたらいいかわからなかった。

 土日も機嫌が悪く、家族での外出も息子は一緒に出かけようとしなかった。息子を家に残し3人で出かけてしまうと、家に帰ったときに息子が鍵をあけてくれなくて、ずっと外で過ごす羽目になることもよくあった。家族みんな、本当に心から休まる時間のない日々を過ごしていた。

 ある年の年末年始。わが家では年末年始には夫と私の実家へ泊まりに行くのが毎年の恒例行事だった。それもここ数年は息子が行きたがらない。

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