ある日突然、子どもに「学校に行きたくない」と言われたら――。外で働く親はどう対応すればいいのでしょうか。神奈川県藤沢市でどんな子どもも自分らしくいられる場所づくりを進める小沼陽子さんが、自身の経験を振り返ります。※第2回〈「命にかえても守りたいのは息子」不登校児の母親が振り返る“夫への罪悪感”と決意とは【体験記】〉に続く

MENU 息子、不登校はじまる 「行く」と言うのに足が動かない 逃げ回る息子が非常階段から落ちそうに 学校って何?

 NPO法人優タウン代表の小沼陽子と申します。藤沢市を拠点に、不登校親子のつながりの場などを提供し、地域全体で子どもたちが生きやすい街づくりをしています。私には大学生の2人の子どもがいますが、子どもたちが小学生のときに経験した不登校について、お伝えしていきたいと思います。

 長男は保育園のころから行きたがらないことが多く、小1の途中から登校しぶりが始まりました。小学校は行ったり行かなかったりの毎日で、中学校は3年間、1日も登校しませんでした。高校は通信制高校にリアル通学。その後、大学に進学しましたが、さまざまなことを考える中で、自らの意思で休学を選びました。現在は自分らしい人生の歩み方を模索しているようです。息子のおかげで、私自身の考え方や生き方が大きく変わりました。あのころにはまったく想像もつかなかったほど、今では家族みんなが穏やかな毎日を送っています。

 当時を振り返ってみると、私は嫌がる息子を学校へ連れていくことしか頭になく、家庭崩壊の危機となり、私の夫や母親も体調を崩し、本当に壮絶な日々を送っていました。あの頃を思い返すと、今でも胸がぎゅっと締めつけられます。

 息子のように、一度レールからはずれるととても生きづらい社会であると身を持って知った私は、子どもたちがもっと安心してありのままに自分の意思をもって生きられる社会にしたい、そのために何か役に立てることをしたいと次第に思うようになり、20年勤めた会社を辞め、今は神奈川県藤沢市でNPO法人を立ち上げ活動しています。

 不登校はいまだに命に関わる大きな問題。子どもの不登校で悩んでいる親御さんが希望を見つけてくれたらいいなと思い、息子の不登校を改めて振り返り、書いてみようと思います。

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小沼陽子
小沼陽子

NPO法人優タウン代表。神奈川県茅ケ崎市生まれ。藤沢市在住。2児の母。子どもの不登校をきっかけにホームスクーリングを実施。その孤軍奮闘した経験から20年務めた大手企業を退職し、2017年に「ホームスクーリングで輝くみらいタウンプロジェクト」としてプロジェクトを立ち上げ、現在は地域の人たちと子どもを育て合い、どんな子どもも生きやすい街と社会を目指してさまざまなプロジェクトを立ち上げ、活動中。

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