――さびしくても幸せ……重い言葉です。

 幸せって、何なんでしょうねぇ。毎日笑えることかなって思うんですが、笑えない日だって山ほどあったし、今でさえ妻に会いたいです。

 それ以上に、10歳になった息子を妻に会わせたい。息子にも母親に会わせてあげたい。その気持ちはこの先も消えません。

 けれど、このさびしさといっしょに生きて行けばいいんだと、割り切れるようにはなりました。妻と息子のおかげです。

息子が一度だけ言った「ママがいない」

――息子さんには、成長の節目などにママのことを話しているのですか?

 不思議とぼくらは、「これからママの話をするね」とか「ママのこと教えて」という話をしたことがないんです。

 「ちゃんと話した方がいい」という人もいますが、ぼくらはあえて母親の話を真正面からはしない。

 それでも、ふとしたときに息子が聞いてくるんです。たとえば風邪で40℃の熱が出た息子が、病院に向かう車のなかで「ママもこうやって熱がいっぱいでたんだよね」って聞いてきたことがありました。

 そういうときに、「そうだよ、ママは何度も熱が上がったよ」って話すんです。そのくらいでいいのかな、と思っています。

――息子さんは、「自分にはママがいない」ということを受けいれているのでしょうか。

 受け入れるも何も、息子にとっては生後112日以降、ずっと母親がいないんです。それが当たり前の日常です。

 もしかしたら中学生や高校生になったときに「なんでぼくに母親がいないんだよ!」と言うことがあるかもしれません。そう言われたら?……そのときに考えます(笑)。

――「ママにいてほしい」と言ったこともないんですか。

 大阪に金剛山(こんごうさん)という山があって、息子が4~5歳のときにいっしょに登ったんです。

 この山には妻とも登ったことがあって、展望台のあたりでいっしょに映した写真が家にずっと飾ってあります。

 その写真と同じ場所に着いたとき、息子が突然言ったんです。「ママがいない」って。

 毎日のように目にする写真と同じ風景だから、そこに行けばママに会えると思っていたのか……それはわかりません。

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