2016年に夫・川島道行さん(ロックユニット・BOOM BOOM SATELLITESのボーカル&ギター)を脳腫瘍で亡くし、40歳で突然シングルマザーになった須藤理彩さん。当時小4と年中だった2人の娘は、この春、大学生と中学2年生になりました。「少しだけ肩の荷がおりました」という須藤さんに、子どもを育てるうえで意識したこと、仕事と子育てを両立させるために大切にされたことを聞きました。※前編〈夫を脳腫瘍で亡くし8年余 須藤理彩に聞く2人娘の子育て「長女は病気を治す人になりたい、と薬学部生になりました」〉から続く

MENU 「彼だったらなんて言うだろう」と心に問う 思春期の子には「逃げ場」が必要 「ママは人を喜ばせる仕事をしている」 夢に向かう娘たちが、私の背中を押す 自分を褒める一番手は、自分でありたい

「彼だったらなんて言うだろう」と心に問う

――お母さまと同居されていて、サポートがあるのは心強いのでは?

 そうですね。仕事のときには母が子どもたちをみてくれるし、すぐ近くには姉一家も住んでいるので、帰りが遅いときには食事を作ってもらったり、休日に仕事が入ったときには姉たちに遊びに連れていってもらったり……本当におんぶに抱っこで、感謝でいっぱいです。

 でも子どもに関しての大事な局面になると、決断するのは親である私しかいない。そのたびに、今までいかに夫に支えてもらったのかを実感しました。

――たとえばどんな場面でそう感じたのですか?

 実家に引っ越すにあたって長女は転校したんですけど、その学校でいじめられて、不登校になってしまったことがありました。

 この事態にどう向き合えばいいのか、娘にどうアドバイスすればいいのか、学校とどう交渉するのか……私にとっても孤独な闘いでした。

 そのとき考えたのが、「彼だったらどうするだろう」ということです。そこにはいない夫に問いかけながら、焦らずに問題を解決していったように思います。

――お元気だった頃も、困ったことがあると相談していたんですか?

 そうですね。彼はいつも、一歩引いて物事をみる人だったんです。

 私は子どもと距離が近いので、感情的になったり、強く叱っちゃうことも多くて、彼にその一部始終を話すと「それはきっとこういうことだったんじゃない?」と子ども側の視点も加えて助言してくれました。

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神素子
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