今思うと、小学生時代はやっぱり「読めていなかった」のでしょうね。文字は追えるし、読み進めることはできるけれど、内容のじゅうぶんな把握には至らなかった。でも、それでも「おもしろい」と感じたのでしょう。だから、当時は何度も読んだのだと思います。

シリーズの誕生は1991年。大人のファンも多い、壮大な異世界ファンタジー。こちらは序章となる一冊。『魔性の子 十二国記』(小野不由美/作 新潮文庫刊)

 よくヨンデミーのユーザーさんから「子どもが本を読み飛ばしする」「子どもが本の内容を理解していないようだ」といった声を聞くのですが、自分と重ねて考えると「よくわかっていなくてもいい」読書ってあるんだな、と思うんです。すべてを理解しなくても、たとえ雰囲気だけでも、本人が楽しいと感じているのなら、それは「読書」なのです。

 そして、そのときはよくわからなかったけれど、成長してまた読み返して「ああ、これってこういう話だったんだ」と気づいたり、新しい魅力を発見したりすることもありますよね。子ども時代はそういう本がたくさんあっていい。だから僕はいつも、読書は「楽しければいい!」と言ってます。

 また、読書には「タイミング」も大いにあると感じます。

 たとえば、冒険ものが好きだから同じジャンルで「この本、おもしろそう」と読んでみたけれど、いまいちしっくりこなくて途中でやめちゃった一冊……。こういう本は僕もたくさんあるのですが、しばらく時間が経ってから読んでみると、おもしろく読めてしまうということもあります。そのときの環境や気持ちも、きっと読書には大きく影響するのでしょうね。

すごいところ③ 学びを楽しめるようになる

――私たち大人にとって、読書はどんないいことがありますか?

 映画やライブ、ゲームやアウトドア……。楽しいことの選択肢って、大人のほうが子どもより圧倒的に多いですよね。僕も動画をたくさん見ます。なんなら、動画のほうがすぐに自分の好みに合う、面白そうなものが見つかりますし。ですから、動画ばかり見てしまう気持ちもよくわかるのです。

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