じっとりする暑い大気を切り裂くようにスマートな800型が岡崎神社の社前を通過していった。境内の木陰から吹く涼風が心地良かったことを思い出した。天王町~岡崎通(撮影/諸河久:1964年8月2日)
じっとりする暑い大気を切り裂くようにスマートな800型が岡崎神社の社前を通過していった。境内の木陰から吹く涼風が心地良かったことを思い出した。天王町~岡崎通(撮影/諸河久:1964年8月2日)

 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。 夏の太陽が輝く都会の街角を一陣の涼風のように走り去った路面電車たち。各地に残した足跡を夏の風情と共に回顧したい。「路面電車 夏の足跡」の第五回目の今回は、古都・京都の夏を彩った京都市交通局(以下京都市電)の路面電車の話題だ。

【57年前、美しい京都の街並みを走る路面電車など、貴重な写真はこちら】

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古社「岡崎神社」の社前を走る盛夏の京都市電

 冒頭の写真は、じりじりと焼きつくような盛夏の昼下がり、丸太町通を走る2号系統西大路九条行きの京都市電を捉えた一コマ。路面電車の空調など夢想にもしなかった時代で、窓という窓を開け放して涼を取るのが夏の常套手段だった。画面左奥に所在する平安京造営以来の古社「岡崎神社」の木陰から吹く涼風が、散策で汗ばんだ肌に心地良かった。

 写真の800型は1950年に川崎車輛他6社で90両製造された京都市電の主力車両。全長11.95m、定員76(36)名(カッコ内は座席定員)の低床式ボギー車で、戦前の名車600型のスマートな流線形デザインを踏襲している。晩年、ワンマン化改造で前中扉に改造され1800型に改番された。

 筆者の撮影時は800型の全盛時代で、美しく整備された張上げ屋根の車体、関東ではお目にかかれないチューブランプ(白熱直管灯)室内灯を装備し、大きな救助網も印象に残った。台車は従来型のKS-40J型だったが、防音・防振対策としてSAB型弾性車輪が使用されていた。

古社「岡崎神社」の神使である狛兎の石像。背景の提灯にも兎の姿が描かれている。(撮影/山口英里奈:2019年9月11日)
古社「岡崎神社」の神使である狛兎の石像。背景の提灯にも兎の姿が描かれている。(撮影/山口英里奈:2019年9月11日)

 左奥の岡崎神社にある「狛兎」の石像も紹介しよう。かつて岡崎の周辺が野兎の生息地だったことから「兎」が祭神の神使とされ、境内のここそこに兎像が存在している。祭神の牛頭天王(速素盞鳴尊)が子宝に恵まれたことや、多産である兎が神使であることから子授けの神、安産の神として信仰を集めている。

 ちなみに、市電の背景の山並みが「五山の送り火」の一つとして著名な大文字山だ。写っている市電ヘッドライトの真上にあたる山頂がその大文字山で、毎年8月16日の夜に送り火が点火される。

 京都では旧暦にお盆の行事が行われ、祖先の霊を親しみ込めて「お精霊さん(おしょうらいさん)」と呼び、大切な行事の一つとなっている。

 毎年8月13日、帰って来られたお精霊さんに花、菓子、果物などの供物を仏壇にお供えし、お送りする16日の朝は、あらめ(海藻)と油揚げの煮物をお供えするのが定番だ。

 その夜は大文字五山の送り火が点火されるのを眺め、お精霊さんの無事帰還と、一年の無病息災を願って合掌するならわしだ。点火の午後8時前には、市内のネオンが消えて、暗闇の中に送り火が荘厳に燃え盛る。

 コロナ禍で全火床に点火されず、一部に点火された寂しい送り火だった昨年に引き続き、今年も一部にしか点火されない送り火となりそうだ。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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