議事堂前での乗降客は稀だった。降車して安全地帯に居残る乗客を後目に渋谷駅前に急ぐ9系統の都電。背景は1931年に竣工した警視庁旧庁舎で、ダークブラウンの色彩だった。議事堂前~三宅坂(撮影/諸河久:1963年7月6日)
議事堂前での乗降客は稀だった。降車して安全地帯に居残る乗客を後目に渋谷駅前に急ぐ9系統の都電。背景は1931年に竣工した警視庁旧庁舎で、ダークブラウンの色彩だった。議事堂前~三宅坂(撮影/諸河久:1963年7月6日)

「参謀本部前」が「議事堂前」で復活

 最後の写真は、桜田門と三宅坂の間に所在した議事堂前停留所を発車する9系統渋谷駅前行きの都電。1903年の半蔵門線開業時は「参謀本部前」の呼称だったが、1920年頃に廃止されている。戦後「議事堂前」の呼称で復活したが、利用者が極度に少なかったからか、1965年頃に廃止された伝説の停留所だ。

 都電が議事堂前停留所に近接すると、車掌が降車扱いの有無を肉声で確認し、「通過します」と叫び、運転手にチンチンと二点打の信鈴を打って通過するのが常だった。写真のように三宅坂方面行きの安全地帯は存在したが、桜田門方面行きの安全地帯は未設置だった。都電の走る内堀通りは道幅が広く自動車交通が頻繁だったので、都電からの乗降は交通事故のリスクを伴うものだった。

 筆者は赤坂見附からの通学帰途、三宅坂を発車して議事堂前の降車を車掌に求めたところ、迷惑そうな表情で、「くれぐれも車に気を付けて降車してくださいね」と念を押されたことを思い出した。

■撮影:1963年9月24日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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