前年に制定されて初めて迎えた建国の日は降雪だった。フォトジェニックな世界を求めて桜橋停留所で撮影した都電雪景色。中判カメラとコダックトライXの組み合わせで、高画質の作品が残せた。(撮影/諸河久:1967年2月11日)
前年に制定されて初めて迎えた建国の日は降雪だった。フォトジェニックな世界を求めて桜橋停留所で撮影した都電雪景色。中判カメラとコダックトライXの組み合わせで、高画質の作品が残せた。(撮影/諸河久:1967年2月11日)

 前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は雪景色の桜橋交差点(中央区)と八丁堀(桜川)に架かる桜橋を行き交う都電だ。

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 今年は暖冬からか、東京はほとんど雪が降っていない。昔は2月になれば都心でも雪が舞う日が多かったと記憶しているが、年々少なくなっているように感じる。

 降雪の時節が来ると思い出すのが、1967年2月11日のことだ。

 前年に制定された「建国記念の日」が初実施された日で、土曜日にもかかわらず、祝休日となった(ちなみに、当時の土曜日は通勤も通学もあった)。その日は未明から降り続いた雪が積もり、都心部でも街並みを白銀の世界に変貌させていた。筆者の地元、中央区の通称「電車通り(現・平成通り)」を走る築地線と「鍜治橋通り」を走る八丁堀線が交差する桜橋交差点で「都電雪景色」を狙うことにした。雪支度といっても、東京の雪質は湿って重いために雨傘は必携だった。

 冒頭の写真は降雪の桜橋停留所に停まる5系統永代橋行きの都電。せっかく掲揚した日章旗が重い雪に打たれている。手前が築地線の軌道で、画面右側が茅場町、左側が新富町の方角になる。都電と並んで信号待ちしている軽三輪トラックが、コメディアン・大村崑さんのコマーシャルで一躍有名になった「ダイハツ・ミゼット」で、その後ろが日野自動車初のキャブオーバートラックTC30だ。画面右の都電とよくマッチする洋風建築が小沢産業の社屋だった。

■二眼レフカメラで雪の日の都電を撮影

 撮影時のカメラは大学時代の愛機「マミヤC33」だった。この機材は6×6判の二眼レフカメラで、上部に折り畳まれたフードを開くとファインダーが現れる。フードの上部からファインダーを覗き、構図を整え、ピントを合わせて撮影する仕組みだった。密閉されたファインダーの一眼レフカメラに比べると、二眼レフのフードは密閉されていないので、降雪時の撮影はファインダー内に水滴が混入したり、ピントグラスが結露したりするリスクもあり、はなはだ使い勝手が悪かった。低照度撮影に備えて準備したISO感度400/120サイズの「コダック・トライX」が威力を発揮して、このような高画質の作品を残すことができた。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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