バフムートで戦死した息子の墓の前で涙を流す77歳の女性(AP/アフロ)
バフムートで戦死した息子の墓の前で涙を流す77歳の女性(AP/アフロ)

斎藤:SDGsに関しては、私は「大衆のアヘンだ」と指摘していて。

国谷:はい、強烈なキャッチコピーとして独り歩きしている感があり、私としては大変迷惑しております(笑)。

斎藤:(笑)。「言い過ぎではないか」という声もあります。私はSDGsの理念自体にはすごく共感します。ただ、日本ではSDGsがブーム化してしまい、もともとグローバルサウス主導で出てきた理念であるにもかかわらず、いまの日本ではグローバルノースである私たちに都合の良いお題目になっているところに違和感があるんです。

 本来、SDGsで問われているものとは自分たちが行ってきたことに対する深い反省であり、そのうえでこの地球の富をどうしたらもっとシェアできるか、環境をはじめ人権や平和も含めて、どんな新しい社会を作っていけるかだと思うのですが、なかなかそうなっていない。むしろ、資本主義をドライブさせるもうけの道具になっている。

国谷:日本はSDGsの認知度が8割を超える稀有(けう)な国です。ただ、たとえば企業にしても、自分たちはこういうSDGsに資する活動をしていますと言いながら、一方でSDGsに合わない部分については目をつぶるという傾向はまだまだあります。自分たちが得意なところだけを声高に宣伝するのではなく、「ここはやってはいけない」というところにこそ誠実に向き合わないといけないとは思います。

 ただ私は、SDGsは「変革をもたらすツール」として有効だと考えています。先日、国連総会議長のチャバ・コロシさんと対話をしたのですが、さまざまな規制やルールの中にSDGsの目標と矛盾するものが多く、早急にこうしたルールを変えるべきとして、いま国連では10を超える交渉や検討が行われていると話していました。たとえば今後訪れる水危機や、地球環境を汚染しているプラスチック問題について、パリ協定で作られた「温暖化の1.5度目標」にあたるようなルールや、法的拘束力のある規制を作ろうとする動きがあると。このままでは危機に直面するとして設定されたSDGsの目標に矛盾するルールと規制は変革していかなければなりません。私はSDGsをさまざまな変革のための武器にしてほしいなと思いますね。

■これまでのやり方なら文明も平和も不安定化

斎藤:私もそこは同感です。ぜひ武器にしてほしいです。飾りではなく。

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