田中碧選手(左から2人目)
田中碧選手(左から2人目)

■できることを増やす

――サッカーを始めてから続けてきた成功体験がある。例えば、中学3年のとき、所属していた川崎フロンターレの下部組織では1学年上に三笘薫(ブライトン)らがいた。高校生の練習に参加したが、全く歯が立たなかったという。だが、数カ月も経たないうちにレギュラーをつかみ、卒業するときには背番号10を背負った。

田中:最初は何もできなかった。悔しさはありましたよ。近所の公園で、めちゃサッカーの練習して。でも、高いところにいけばいくほど自分は1番下から始まる、というのはそのころからある感覚です。悔しい経験はするけど、そこに慣れようとして、どんどんできることを増やしていく。結局、「自分が想像しているところにいくだろうな」という感覚はあるし、いい意味でゆっくり考えられる。そこはほかの人と違う部分かもしれません。

――W杯の決勝トーナメント1回戦では、目標だった「日本初の8強」にたどりつけず、クロアチアにPK戦で敗れた。悔しさはもちろんある。試合後、「次は化け物になってここに戻ってきたい」とコメントを残した。決意は固かった。

■次の4年が楽しみ

田中:個人のレベルでは、満足いくものはないです。帰りの空港で歩きながら、(堂安)律とも話した。「4年後、俺らでやるしかないな、俺らで勝たせよう」って話をしたんです。

 彼とは同い年なんですが、僕らは東京五輪でスペインに負けて、悔しい経験をした。W杯では、その五輪世代が何人もいたので、あの悔しい思いを共有できた。

 負けてよかったとは思いませんが、東京五輪でも今回のW杯も、この「負け」を肯定的なものにしていかないといけないと思っています。

――1歩ずつ、階段を上ってきたサッカー人生。その視線はすでに、4年後に向かっている。

田中:目指しているのは、自分が試合に出ていたら勝てる選手。貢献度も安心感という意味でもです。4年後は、年齢的にも一番いい時期になると思うので、そこに向かっていく4年間は楽しみです。この悔しい気持ちが、次の4年間、頑張るためのものになるだろうから。

(朝日新聞記者・照屋健)

AERA 2023年2月13日号