今回のウクライナ侵攻で論争が再燃したのが、統一ドイツのNATO加盟の交渉にあたり、ゴルバチョフ氏が「NATO不拡大を約束されたのか否か」という問題だった。プーチン氏は約束があったと主張している。

インタビューに答えるゴルバチョフ氏/2019年12月
インタビューに答えるゴルバチョフ氏/2019年12月

 論争の発信源は、90年2月9日のゴルバチョフ氏とベーカー米国務長官(当時)の会談でのベーカー氏の次の発言だ。

「もし米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの管轄権もしくは軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大しない」

 ゴルバチョフ氏は18年に出した回想録『ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で』(朝日新聞出版)で、「ベーカー氏の言葉は数多くの臆測や思惑の対象となった」と記し、「保証」はもっぱら統一ドイツに関するものだと説明している。

■約束はなかったと言及

 それは、90年9月12日署名のドイツ最終規定条約で具現化され、旧東ドイツ領への外国軍の配置や核兵器と核運搬手段の配備を禁止し、西ドイツの兵力を大幅に削減するものだったとして、こう問いかける。

「あの時、旧東ドイツ領だけでなく、東方全体へのNATO不拡大問題を提起すべきだったのか」

 そして、こう続ける。

「この問題を我々が提起するのは単に愚かなことだったであろう。なぜなら、当時はまだワルシャワ条約機構も存在していたからである。あの当時こんなことを言っていたら、我々はもっと非難されていただろう。我々自身が西側のパートナーにNATO拡大のアイデアをこっそり届け、ワルシャワ条約機構の崩壊そのものを早めてしまった、と」

 ゴルバチョフ氏は「約束はなかった」と述べている。これは今のプーチン大統領の主張と食い違う。だからといって、NATO拡大が免罪されるとは考えていなかった。ドイツ統一交渉時の東西融和の精神に反すると考え、厳しく批判したのだ。

■顔を突き合わせている

 17年に出した自叙伝『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』(東京堂出版)では、こんな懸念を示していた。

「新たな軍拡競争がすでに激化している地域もある。NATO軍とロシア軍はごく最近まで離れたところにいたが、今は顔を突き合わせているからだ」

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