YouTuber HIKAKIN(写真:UUUM提供)
YouTuber HIKAKIN(写真:UUUM提供)

 スーパーの店員から、今や登録者数1千万超のYouTuberとなったHIKAKINさんがAERAに登場。海外の動画を見るため動画サイトを探したことが、YouTubeとの出会いだった。AERA 2022年6月27日号から。

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「まさか人生がこんなにYouTube一色になるとは思わなかった」

ヒューマンビートボックスにハマっていた一人の高校生が、海外の動画を見ようとたまたま行き着いた先が、YouTubeだった。

 YouTubeは今や誰もが毎日スマホでアクセスする巨大プラットフォームに進化した。HIKAKINはYouTuberの代名詞的存在として視聴者を増やしてきた。

 新潟から上京し、スーパーの店員として働いていた頃のことだ。社員寮で撮影しアップした1本の動画が、突如、海を越えて全世界に届いた。ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のBGMをビートボックスで奏でた「Super Mario Beatbox」だ。

「当時“バズる”という言葉はまだなかったと思いますが、まさにすごいバズり方をして。コメントが入ったらメールが届くように設定していたので、メールのフォルダが2万件ぐらいに。鳥肌立ちっぱなしでした」

AERA 2022年6月27日号より
AERA 2022年6月27日号より

 その後、米国のYouTuberの講演を聞きYouTubeが職業になると知り、本格的に「Hikakin TV」で動画投稿を開始。

「講演を聞いた帰り道、『マジでやるしかないじゃん』って。めちゃくちゃ燃えてました。そこから3カ月ぐらいで仕事にできた感じです」

 10万人、100万人、1千万人。チャンネル登録者数はとどまるところを知らない。社会的な影響力の大きさもひしひしと感じている。

 コロナ禍、1度目の緊急事態宣言の最中には自身のチャンネル上で小池百合子・東京都知事とオンライン対談を果たし、若い世代に正確な情報を届ける役割を担った。登録者数1千万人達成時に行った生配信中のスーパーチャット(視聴者からの投げ銭)はすべてYahoo!基金を通じ、医療崩壊を防ぐための支援に寄付した。

「好きなことで、生きていく」を謳った2014年のYouTubeのテレビCMの通り、HIKAKINにとってYouTubeは職業であり、生き方そのものだ。(編集部・高橋有紀)

AERA 2022年6月27日号