名古屋外国語大学学長 亀山郁夫さん/1949年生まれ。専門はロシア文学・ロシア文化論。訳書に『カラマーゾフの兄弟』など(写真:本人提供)
名古屋外国語大学学長 亀山郁夫さん/1949年生まれ。専門はロシア文学・ロシア文化論。訳書に『カラマーゾフの兄弟』など(写真:本人提供)

■受動性につけ込む行為

 ロシア人と身近に接しながら驚くのは、彼らが今もって抱いているある種の神秘主義です。彼らは政治権力よりも神と大地に忠実です。特にロシアの国土の広さは、それ全体が一つの大きな意思を持っていると感じている。その感覚は当然、政治にも反映され、強力なリーダーを求める傾向が生まれます。

 同時に、ロシア人はセキュリティーの感覚が希薄です。死の感覚に馴致(じゅんち)している。自分たちは神や大地に加護されているという漠たる感覚があるからでしょう。全体の中にあって一つの個が保たれるという、一種の集団主義をも生み、自立が悪とみなされます。

 こうしたロシア人の精神性を表して「千年の奴隷」と呼んだのが、20世紀を代表するウクライナ人作家のワシーリー・グロスマンでした。戦争が終わり、かりにロシアに欧米型の民主主義が入ってきても、いずれは再び強力なリーダーを求めることになるでしょう。

 今回のウクライナ侵攻は、国民の受動性につけこんだ背信行為です。しかし同じロシアの兵士たちの夥(おびただ)しい死を知れば、正気になるはずです。逆説的に見えるでしょうが、今プーチンもロシア国民も被害者意識に凝り固まり、「嘘」と知りつつ、「嘘」を命綱としています。しかし果たしてこれほどの「嘘」にどこまで耐えられるのか。今はおそらく沈黙しかないでしょう。これは状況としてはよくない。しかし、いずれは何かが、爆発するはずです。独裁権力は、それに対してどう臨むのか。さらなる弾圧か、あるいは、真の自立の前に、みずから膝(ひざ)を折るか。

(編集部・野村昌二)

AERA 2022年4月25日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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