「ロシアのために」「勝利のために」の頭文字とされる「Z」が描かれたモスクワのビル(写真:gettyimages)
「ロシアのために」「勝利のために」の頭文字とされる「Z」が描かれたモスクワのビル(写真:gettyimages)

 ロシアのプーチン大統領は国際社会から非難を浴びながらウクライナへの侵攻をやめず、民間人への攻撃も続けている。プーチン氏の暴挙の背景には何があるのか。AERA 2022年4月25日号は、浜由樹子・静岡県立大学大学院国際関係学研究科准教授に聞いた。

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 ロシアのウクライナ侵攻は、プーチン氏がロシアの勢力圏を守ることに非常に過激な反応をした結果だと思います。しかし、なぜ軍事侵攻なのかという点に関しては説明がつきません。

 ただ、思想レベルでいえば、根っこには、プーチン氏のリベラリズム的価値への反発があったのではないかと思います。

 実はプーチン氏が2000年に大統領になった時、彼は徹底したプラグマティスト(実用主義者)でした。全方位外交と言われたくらい、欧米はじめどの国ともうまくやり、友好的なメッセージも送っていました。ところが、07年2月にドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議あたりから態度が変化します。米国の一極外交を批判し、強い不快感をあらわにしました。

 そこに至るまで何があったかといえば、03年にジョージア(グルジア)、04年にウクライナ、05年にキルギスなど旧ソ連諸国で起きた民主化運動の「カラー革命」です。プーチン氏が自分たちの勢力圏と見なしていた旧ソ連の構成国で、親ロシア色の強い政権が次々と倒されていったのです。NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大にも危機感をつのらせました。

■第3期で明確に保守化

 プーチン氏が明確に保守化するのは、12年の大統領選で当選した「第3期」に入ってからです。選挙中、ロシア各地で反プーチンデモが起こりました。中東の「アラブの春」も同時期です。世界的に見ると欧州やアジア、ラテンアメリカなどで反リベラルの波が生まれ、最後は米国でトランプ政権が誕生します。そうした中で、プーチン氏は保守化をますます強めていったのだと思います。

 そして根底には、ソ連が崩壊して以来、欧米が掲げる自由や民主主義といった価値観の「押しつけ」に対する反発があったと考えています。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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