ウクライナは1991年にソ連から独立したが財政難に苦しみ、ソ連軍が残した新型戦車は外国に売却、現在使っている戦車の大部分は1960年代のソ連製を改修したものだ。だがソ連時代からロケット・ミサイル技術にたけていたから、今日でも長射程の多連装ロケット砲や、サウジアラビアの資金で射程500キロの弾道ミサイルを開発、輸出を計画している。これはモスクワに届くからロシアにとっては気になるだろう。

 ロシアは侵攻後になって言い訳のようにウクライナの核開発、生物・化学兵器研究を非難したが、その証拠は提示していない。ウクライナが攻撃したのではないからロシアの侵攻は自衛権の行使ではないし、国連安全保障理事会が「軍事的措置」として武力行使を認めた訳でもないから、国連憲章など国際法に違反していることは明白だ。

ロシアからの攻撃を受けたハリコフで、病院で治療を受ける人たち。窓ガラスもつぎはぎ状態/3月22日(photo:gettyimages)
ロシアからの攻撃を受けたハリコフで、病院で治療を受ける人たち。窓ガラスもつぎはぎ状態/3月22日(photo:gettyimages)

■米のイラク攻撃に酷似

 米国が2003年3月にイラク攻撃をしたのはこれに似ていた。米国は「イラクはなお大量破壊兵器を廃棄していない」と武力行使を主張、国連は再査察を行った。02年11月から03年3月まで、国際原子力機関と国連監視検証査察委員会が派遣した査察団は、イラクの妨害を受けず米国が疑惑を指摘したすべての地点を含む978カ所を調べたが「核能力解体は97年までにすんでいる」「生物・化学兵器の備蓄の証拠は発見できなかった」と安保理で報告した。フランスのド・ビルパン外相は「なお疑いが残るなら査察を続ければいいではないか」と、米国の求めた武力行使容認に反対した。国連総会でほとんどの代表が立ち上がって拍手し、今回のロシア非難決議と似た光景となった。米国のブッシュ大統領は「米国が安全保障に必要な行動をとるのに国連の許可を得る必要はない」との暴言を吐き、イラク攻撃に踏み切った。

 これに対し米国を含む世界各地で、ときには10万人を超える反戦デモが広がったのも今回のウクライナ侵攻と似ていた。米軍は当初、快進撃をしたがイラク民兵の妨害で補給が追いつかず、1日1食の部隊も出て6日間停止せざるをえなくなったのも、今回のロシア軍と似ていた。米軍は3週間で首都バクダッドを制圧、ブッシュ大統領は5月1日、空母「リンカーン」艦上で勝利宣言したが、それから8年余りゲリラ、テロ、イラク人同士の宗派対立などに苦労した末に撤退した。この戦争では軍人、民間人合わせて約14万人が死亡、国外難民は220万人、国内避難が100万人に達した。

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