新たにできた防波堤。「『絶対に』安全とは言いきれないが、安心感も与える。そこに希望がある」とハリス(撮影/Mark Edward Harris)
新たにできた防波堤。「『絶対に』安全とは言いきれないが、安心感も与える。そこに希望がある」とハリス(撮影/Mark Edward Harris)

 米写真家マーク・エドワード・ハリス(63)は、東日本大震災が起きた直後、そして5年後、10年後に被災地を訪れ、定点観測を続けた。彼はそれらを通し、被災地の、人びとの強靱な「創生」を見いだしたという。AERA2022年3月14日号の記事を紹介する。

【写真】2021年撮影。震災10年後の「奇跡の一本松」

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 ハリスは子どものころ、津波を警戒して近所の駐車場に両親と逃げた記憶がある。1964年、米地震観測史上で最大とされるアラスカ大地震が発生。北西部のアラスカ州から2千キロ超離れた西部カリフォルニア州などに津波が達した。地震と津波の犠牲となった死者は、計百数十人に及ぶ。

 ハリス一家が住んでいたロサンゼルス近郊では「海が盛り上がって、ボートが転覆した」と両親から聞いたという。

 ハリスは以後もカリフォルニア州に在住。100カ国以上を訪れ、ドキュメンタリー写真を「タイム」や「ニューヨーク・タイムズ」など有力メディアに寄せる。日本好きで、各地の温泉を白黒写真で捉えた『ザ・ウェイ・オブ・ザ・ジャパニーズ・バス』は、米国の出版賞を受賞している。

 2011年、東日本大震災と津波、さらに福島第一原子力発電所事故のニュースを聞いた際、長く忘れていたアラスカ大地震の記憶がよみがえった。「歴史に残る大災害だ。どうしても行きたい」とハリスは思った。

 友人であり、東京で旅行大手JTBに勤務していた大義孝(61)は、大震災から1週間後、ハリスから連絡を受けた。被災地では、電車もバスも運行していないのに「どうしてもこの目で見なきゃいけないんだ」の一点張り。大熊はとうとう熱意に負けて、車で東北をガイドすることにした。

2016年撮影。大槌町で進む整地。「津波で住民は手前の墓地に駆け上がった。間に合わなかった人もいただろう」(ハリス)(撮影/Mark Edward Harris)
2016年撮影。大槌町で進む整地。「津波で住民は手前の墓地に駆け上がった。間に合わなかった人もいただろう」(ハリス)(撮影/Mark Edward Harris)

■本物のストーリー探す

 2人が仙台市で迎えた最初の晩、ホテルにチェックインした直後、大きな余震があり、泊まり客は退避するよう告げられた。寒い中、屋外に避難するよりは、とチェックアウトし、あてもない旅が始まった。

 泥まみれの「くまのプーさん」のぬいぐるみ、楽しそうな家族写真、逆さになった乗用車の下をのぞき込む男性──。ハリスは、そこに生きた人間とコミュニティーの残り香を撮ろうとした。

「いつも、一枚の写真で伝えられる本物の『ストーリー』を探していた」

 と大熊は記憶している。

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