西武の松坂大輔は12月4日、ファン感謝イベントでの引退セレモニーで、ファンに現役引退を報告した(撮影/伊ケ崎忍)
西武の松坂大輔は12月4日、ファン感謝イベントでの引退セレモニーで、ファンに現役引退を報告した(撮影/伊ケ崎忍)

 華々しい活躍をしてきても、松坂には身近な存在と思える雰囲気があった。丁寧な受け答えなど気遣いの人だったこともある。だが、最も大きな理由は満身創痍(そうい)になっても投げ続けたことだろう。そこに人々は深く共感した。それが、松坂が残した最大の功績と言えるかもしれない。

 キャリア後半、右ひじや右肩を手術し、伸びのある豪速球は影を潜めた。先発投手を外されるなどの配置転換からマイナー契約、戦力外通告に自由契約など悔しい思いをたくさんしてきた。球史を変えた名投手でも全てが思うようには運ばなかった。この5年ほど、周囲からは「もういいだろう」と引退を促す言葉もちらついた。

 それでも諦めなかった。

 何とか前に進もうと模索し、もがき、苦しんでいる姿までさらけ出した。記者は長い間取材してきて、世代を超えた人間くささ、とも言うべきものを感じた。

■ボロボロになるまで投げる 5年前に聞いた松坂の言葉

 マイナーリーグで過ごした時期や、3年間で1試合しか登板できなかったソフトバンク時代に、松坂は引退を示唆したことがある。

 日本球界復帰後、大好きな漫画『ドラゴンボール』の話になったとき、何でも願いをかなえてくれるドラゴン(神龍)に「痛くない肩がほしいとお願いしたい」と珍しく弱音を吐いたこともあった。

 そのたびに立ち上がった。

「ボロボロになるまで投げるよ」

 16年11月、ボストンで話をしたときの言葉が記憶に強く残る。

 今年、ついに限界に達した。右手に残ったしびれが原因で、ボールが普通に投げられない。どこに行くかも分からない恐怖があった。指先の感覚を人一倍大事にする選手だけに、かなりのショックだった。

「今回は心と体の両方が折れた。これまではどちらかだけで、続けてこられたけど両方は初めて。辞めるしかないと思った」

 引退登板となった10月19日の日本ハム戦(メットライフドーム)。投じた5球でストライクは1球だけ。最速は118キロだった。

 最後は伸び上がるような直球も三振もない。99年4月7日、当時の日本ハムの強打者・片岡篤史(52)から155キロの直球で空振り三振を奪ったプロデビュー戦のような豪快さはなかった。

 それでも、悔いはない。

「最後は普通に投げられなくなるまで、野球を続けてくることができて本当に幸せでした」

 信じた道を突き進んだ。最後の最後まで。他の選手がまねできない「自分らしさ」が、松坂大輔が歩んできた日々には確かにあった。(朝日新聞社・遠田寛生)

AERA 2021年12月20日号より抜粋