10月19日の引退登板では、試合後にマウンドに別れを告げた
10月19日の引退登板では、試合後にマウンドに別れを告げた

 西武の松坂大輔が現役生活を終えた。同世代が「松坂世代」と呼ばれるなど、その活躍ぶりは大きく注目されてきた。晩年は故障に苦しんだが、その姿さえも人を引きつけた。AERA 2021年12月20日号で、改めてその軌跡を振り返った。

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 松坂の功績は、同世代と築き上げた「つながり」とも言える。社会現象になった「松坂世代」がその象徴だ。

 名球会入りした選手はまだいないものの、優秀な人材にあふれた。藤川球児(元阪神)や和田毅(ソフトバンク)、杉内俊哉(元巨人)、村田修一(元巨人)……。松坂に追いつけ、追い越せで競い合ってきた。松坂との直接対戦があれば話題になり、各自が活躍すれば世代の価値をさらに高めた。プロ野球、特にパ・リーグの人気向上への貢献度は大きい。

 実は、松坂はこう明かしたことがある。

「一緒にされたら嫌な人もいるだろうから、松坂世代って言われることは最初はあまり好きではなかった」

 だが、周りの選手が次々と活躍する姿を見て、考えが変わったという。

「本当にいい仲間に恵まれた。言葉に出さなくてもわかり合えることもあった。周りのみんなが(呼び名を)嫌がらなかったおかげで、先頭を走ってこられた。同時に、自分の名前がつく以上、世代のトップでなければならないと思ってやってきた。それがあったから最後まで諦めずにこられた」

 大阪・PL学園高の元主将で、楽天で監督経験もある西武の平石洋介・打撃コーチ(41)は、同世代の一人としてこうコメントしている。

「(球界に)松坂世代と言われることを嫌がる人はいなかった。プロでもまず大輔が野球で示してくれて、そのおかげでこの世代が注目された。感謝することが多い」

 結束は、グラウンド外でも強かった。1980年生まれのプロ選手でつくる「昭和55年会」を発足させ、オフには少年野球教室を開くなど野球振興にも取り組んだ。横浜高の同期らと編成したチームで、タレントの萩本欽一さん(80)が監督を務めた茨城ゴールデンゴールズとチャリティー試合を行ったこともある。

 一般社会への影響も大きかった。中日在籍時にはこう語ってもいた。

「キャンプや練習で『私も松坂世代です。あいさつのときに必ず使わせてもらっています。いつも力をもらっています。まだまだ頑張ってください』ってよく声をかけられた。だからまた頑張ろうと思えた」

 日本球界に復帰した15年以降、特にそういう場面が増えた。想定外の反響について「人の役に立てている気持ちになる」とうれしかったという。

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