小川氏はこれまで選挙区で当選したのはわずか1回。実はその1回が民主党政権誕生の09年の選挙だった。しかし、今回の勢いはその時以上だった。

 選挙期間中には、枝野代表も応援に駆けつけた。実は小川氏は衆院選の前から「次期代表選に出馬する意思」をSNS上で明言していた。この時も大先輩である枝野氏に感謝の意を述べつつ、聴衆と枝野氏本人を前にして、こう演説をしている。

「次世代もそろそろしっかりしないといけない。先輩をお支えしつつも、次世代はここにあり。その自覚と責任感を持ちたい」

 これを受け枝野氏は「小川淳也と言えば、なぜ君は総理大臣になれないのか。まだ、なられたら困るのですが、私がやりたいから」と、聴衆の笑いを誘いながらこう続けた。

「小川淳也が総理になるためには、党のリーダーになるためには、絶対に自分で乗り越えなければならないハードルがある。選挙に強くならないといけない。リーダーたるもの、自分の選挙に顔を出さなくても勝てなくてはならない」

■自らは中道ど真ん中

 小川氏と枝野氏の接点は、民主党時代にさかのぼる。「影の総理」と言われた仙谷由人元官房長官が主宰する勉強会「凌雲会」の同志だった。無論、小川氏は最若手。枝野氏は仙谷氏を「政治の師」と仰ぎ、小川氏も同じ四国出身の仙谷氏に政治のイロハを教わった。小川氏はその勉強会に参加していた前原誠司氏、細野豪志氏らと意気投合し、民主党の若手世代として切磋琢磨したという経緯がある。

 その後、小川氏は前原グループに所属。前回の衆院選、いわゆる「希望の党」騒動時には前原氏と行動を共にし、比例復活当選を果たすも、選挙後の両院議員総会で希望の党代表・小池百合子氏を前に「首班指名は立憲民主党の枝野幸男氏と書くべきだ」と主張し前原氏と袂を分かち離党。その後、無所属時代に枝野氏を通じて立憲民主党の会派入りを認められ今日に至る。

 小川氏は本誌のインタビューに、自らの立ち位置についてこう述べた。

「前原さんより左、枝野さんより右の中道ど真ん中」

 そして、代表選への立候補についてはこう語った。

「枝野代表の今回の決断を重く受け止め、次世代で何ができるのかを真摯に考え、取り組む所存です。私なりの決意は固まっています。すでに賛同を示して下さっている同志と丁寧な協議を重ね、改めて態度表明をさせていただきます」

 時代の歯車なのだろうか。小川氏は2万票の大差で勝利し、逆に枝野氏は、選挙区当選はしたものの苦戦を強いられた。代表選には小川氏の他に泉健太政調会長、馬淵澄夫元国土交通大臣、大串博志元財務政務官などの名前が挙がっている。小川氏のいう「次世代」が乱立する選挙戦になることは間違いない。

(編集部・中原一歩)