(写真/小平尚典)
(写真/小平尚典)

 むき出しの生存を至上の価値とするあり方へ向かって、世界が暴走をはじめている。ただ生き延びるためだけに、多くの人が自由を制限してくれと国や政府に懇願している。進んで大切な自分を差し出そうとしている。「民主主義」と呼ばれてきたものは内実を失い、名前だけが亡霊のように巷をさまよい歩いている。その中身はナチズムやスターリニズムと変わらない。

「近代」の名とともに輝かしく称揚されてきた諸価値が、安メッキが剥がれ落ちるように素性をあらわにし、債務不履行に陥っている。

 来るべき世界では、感染症やがんなどの病気を免れることが「自由」になるだろう。超早期発見と超早期治療によって生命を守られるものが「自己」になるだろう。個人情報をすべて差し出す見返りとして国家(伊藤計劃=けいかくの言葉を使えば「生府」)に自分を守ってもらう。それがリニューアルされた「民主主義」ということになりそうだ。

■「歴史的」にもなかった

 ジョブズにたいする不思議な郷愁。長く慣れ親しんできた世界が音をたてて壊れていくのを茫然と見ている。その喪失感や寄る辺なさのなかで、彼の弱さや身勝手さを含めた人間臭さが懐かしい。ポルトガル語の「サウダーデ」。わがままで才気あふれたスティーブ・ジョブズという一人の人間のいたことが、まるで古い映画の一場面のように振り返られる。たった10年ばかり前のことなのに。

(写真/小平尚典)
(写真/小平尚典)

 誰も必要とは思わなかったのに、気がついたときには、それなしでは生きていけないとみんなが思ってしまう。そういったガジェットを作り上げることにかけて、ジョブズは並外れた才能をもっていた。この稀有の才能を活かして、スマートフォンというポケットサイズの万能機械を地上にもたらした。

 しかし彼がいなくなって10年、この画期的な発明もコモディティー化した。誰もが気軽に使えるものになり、現に人種、民族、宗派、貧富を問わず何十億もの人々が使っている。これほど人類が平等に使える機器は、歴史がはじまってこのかた存在しなかったかもしれない。

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生きることの「デフォルト」になってしまった