AERA 2021年9月27日号より
AERA 2021年9月27日号より

■先手のアドバンテージ

 最終第5局では改めて振り駒がおこなわれる。

「と金が3枚です」

 対局室に記録係の声が響く。畳の上に敷かれた白布の上には「歩」が2枚、「と」が3枚。先手は藤井挑戦者。この一局に関しては、それが藤井のアドバンテージとなった。

 戦型は、互いに飛車先の歩を突いていく相掛かり。後手の豊島は2枚の銀を中段に繰り出し、積極的に攻勢を取った。対して藤井は金を三段目に上げる変わった形で巧みに受けた。豊島の銀をさばかせず、攻め足が止まったと見るや、守りの金を一気に中央へと押し上げていった。筆者はその金の姿に、時代を駆け上がっていく藤井の姿が重なって見えた。藤井の守りの金は豊島陣にまで達し、豊島玉を上から押さえつけた。

 互いに4時間の持ち時間を使い切り、一手60秒未満で指す最終盤。藤井は自陣で遊んでいた桂を端に跳ねた。

「おおー! そこですか! いやー、(思考が)追いつかないですね」

 解説の高見泰地七段(28)はそう叫んだ。

「素人……。素人というか私クラスだと」

 そう前置きした上で、高見は違う決め方を示した。無論、高見は素人などではない。叡王戦がタイトル戦に昇格して初めて叡王位に就いた強豪だ。その高見ですら藤井の一手には気づかなかった。

■自身の記録に興味なし

 将棋界には「指運(ゆびうん)」という言葉もある。終盤、残り時間が切迫する中、読みきれぬまま駒を持つ指が偶然いいところにいけば「指運」があったという。しかし藤井の桂跳ねは指運などで指されたものではない。藤井の桂は豊島の銀を取りながら中段に跳ね、豊島玉の逃げ道をふさいでその死命を制するに至った。藤井は最後、鮮やかに豊島玉を詰め上げ、大一番を制した。

「自分としてはあまりそういった年少記録は気にしていないというか。最終的にどれだけやれるかということのほうが大事なのかな、とは思っています」

 終局直後、史上最年少三冠達成について尋ねられた藤井は、これまでと変わらず、自身に関係する記録にはほとんど興味がない旨を述べた。(ライター・松本博文)

AERA 2021年9月27日号より抜粋

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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