佐久間文子(さくま・あやこ)/1964年、大阪府生まれ。86年、朝日新聞社入社。文化部、「AERA」「週刊朝日」などで文芸や出版に関する記事を担当し、書評編集長も務めたのち退社。著書に『「文藝」戦後文学史』がある(撮影/写真部・東川哲也)
佐久間文子(さくま・あやこ)/1964年、大阪府生まれ。86年、朝日新聞社入社。文化部、「AERA」「週刊朝日」などで文芸や出版に関する記事を担当し、書評編集長も務めたのち退社。著書に『「文藝」戦後文学史』がある(撮影/写真部・東川哲也)

 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 昨年1月、心臓疾患のため61歳で急逝した文筆家・評論家の坪内祐三を偲ぶエッセー『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』が刊行された。坪内の妻で、文芸記者として活躍し今は執筆活動を行う佐久間文子さんが、さまざまなエピソードを交え、妻だけが知る坪内祐三の姿を描き出す。東京を愛し、該博な知識と知的好奇心を武器にジャンルを問わない執筆活動を展開していた夫との25年間は、心きしむことも楽しいことも多い濃密な時間だった。著者である佐久間さんに、同著に込めた思いを聞いた。

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 朝刊を開いて訃報欄を見た時、思わず「あっ」と声が出た。類い稀な同時代史の書き手として愛読してきた坪内祐三の突然の死は、彼がまだ61歳だったこともあり、「残念」という言葉では済まない衝撃だった。ましてや目の前で逝かれてしまった妻にとっては。

 妻・佐久間文子さん(57)が文芸誌「新潮」に掲載した本書の冒頭部分を読み、痛ましさがさらに募った。だが一冊をまとめて読んでみれば、夫妻の25年間は「なんと濃密な時間だったか」とも思う。二人は互いの理解者でありつつ、それぞれが持つ感情の多さと主として坪内が起こす問題の多さとでしばしば激しい喧嘩になった。そんな相手がすとんと深い穴に落ちるように突然死んでしまったら、残された妻はどうすれば良いのだろうか。幸い文芸記者としてキャリアを積んだ佐久間さんには「書く」という手段があった。

「お話をいただいた時、最初は『書けない』と思いました。でも自分にとってはとてもつらい体験だったのに、少し時間が経つと記憶を修正していることに気づいたんです。もともとツボちゃんは、楽しかったことだけを思い出させるようなキャラクターの人でしたから、時間が経つにつれどんどんつらくない方へと記憶が修正されてしまうかもしれない。『それはそれで違う』と思いました」

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